降誕会2020

5月21日は浄土真宗の宗祖である親鸞聖人がご誕生された日である伝えられています。


西本願寺をはじめとした多くのお寺では「降誕会法要」をおつとめします。


今回は新型コロナウイルス感染症の影響で、どこも中止かWEB配信に切り替えているようです。

せっかくのご縁なので、前に紹介した『恵信尼消息』に記された親鸞聖人のエピソードを載せます。


親鸞聖人は9歳で出家得度をされ、比叡山に上られました。この比叡山で修行中されていた聖人のご様子を、恵信尼さまは

殿の比叡の山に堂僧(どうそう)つとめておはしましける

とお手紙に綴っています。

「堂僧」とは、常行三昧堂で不断念仏(ふだんねんぶつ)を勤める僧侶をさすようです。

不断念仏とは、特定の日を決めて昼夜不断に南無阿弥陀仏とお念仏をすることです。
ただ、「なんまんだぶ」とお念仏をするだけではなく、引声念仏(いんぜいねんぶつ)といって、お経の一文字一文字に長い節(メロディー)をつけて唱えられました。聖人はその節回しをマスターされていたといいます。


聖人は29歳のとき、比叡山を下りて京都・六角堂にお籠(こも)りになられました。このときのことを恵信尼さまは

山を出(い)でて、六角堂に百日籠らせたまひて、後世(ごせ)をいのらせたまひける

とお手紙に綴っています。
つまり、聖人の六角堂参籠(さんろう)の目的は「後世の問題を解決すること」でありました。

「後世(ごせ)」とは、「後生(ごしょう)」と同じ意味です。今生(こんじょう)のいのちが終わった後の生涯をさします。
「いのちを終えてどうなっていくのか、浄土往生できるかどうか」は、『御文章』「白骨章」にあるように、「一大事」です。20年にわたる比叡山でのご修行では、その大問題に決着がつかなかったということでしょう。

参籠をはじめて、95日目の「あか月(まだ夜が明けない午前2時~午前4時)」に、聖徳太子から夢のお告げがありました。

夢告を得た親鸞聖人は、すぐに六角堂を出て法然聖人の元へ赴きました。
100日間にわたって、雨の日も晴れの日も、どんな大風が吹こうが法然聖人のご説法をご聴聞されます。


法然聖人は、善人も悪人も同じようにすくわれる「生死(しょうじ)(い)づべき道」を一筋に説きます。
私たち凡夫は、迷いの世界を経めぐり、生まれては死んでいくということを繰り返しています。その生死の迷いの世界から脱し、浄土に往生して仏のさとりをひらく道こそが「生死出づべき道」です。
それは阿弥陀さまのおはたらきにおまかせする「他力」の教えでした。

その教えにしっかりと受け止めらた親鸞聖人のことを、恵信尼さまは

うけたまはりさだめて候(そうら)ひしかば

とお手紙に綴っています。

「しか」とは、筆者である恵信尼さまが直接見たり聞いたりしたことを表わす助動詞です。

法然聖人に相対する親鸞聖人を恵信尼さまが間近で見ておられたことがわかります。

合掌

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2020年05月21日