春分の日・秋分の日を中日として、前後各3日を合わせた期間を お彼岸 (ひがん) といいます。 今年は9月20日(木)から26日(水)が秋のお彼岸期間です。
彼岸とは、「彼(か)の岸」を意味します。つまり、生死(しょうじ)の迷いを超えた「さとりの世界」のことです。
浄土真宗において彼岸は、阿弥陀如来の世界である「西方極楽浄土」をさします。
彼岸の対義語は、私たちが住んでいる世界「此岸(しがん)」です。他にも「生死(しょうじ)」「迷いの世界」と表現されます。
仏教語の「生死(しょうじ)」は、世間で使われる「生死(せいし)」と漢字は同じですが、意味は異なります。
「生死(せいし)」と読むときは「生」と「死」とをハッキリ分けるだけでなく、「生」は望むべきもので「死」は避けられるべきものと、互いに対立した価値をつけていきます。
「生死(しょうじ)」と読むときは、「生あるものは必ず死を迎える」のように「生」と「死」が一体であると受け止めます。
「生死(しょうじ)」は古代インドで用いられていたサンスクリット語「サンサーラ(saṃsāra)」の漢訳語です。
サンサーラとは「流れること」の意で、「輪廻(りんね) 」とも訳されます。
輪廻とは、車輪が回転し続けるように生まれかわり死にかわりを続けることで、悟りを意味する「涅槃」と対になる言葉です。
ですから、「輪廻」は「迷い」や「苦しみ」という意味で用いられます。
なぜ生まれ変わりを続けることが「迷い」「苦しみ」なのでしょうか。
それは自分の価値観や都合を最優先し、思い通りにしたいという強い願望を持つ限り、どんな世界に生まれてもその思いに振り回されて迷い、思い通りにならない現実に苦しむ生き方しかできないからです。
親鸞聖人の妻である恵心尼(えしんに)さまは、お手紙の中で聖人が「生死(しょうじ)出(い)づべき道」を求められたことを伝えています。
まさしく、「迷いの世界から超え出ていくことのできる教え」を求めたということです。
では、私たちはどのようにして迷いの繰り返しである生死(しょうじ)から解き放たれることができるのでしょうか。
先ほど述べたように「迷い」「苦しみ」の根本原因は、「思い通りにしたい」という心のはたらき──つまり、煩悩です。
むさぼり(貪欲|とんよく)・いかり(瞋恚|しんに)・おろかさ(愚痴|ぐち)の心こそが、この私を悩ませ、煩わせているのです。
煩悩がなくなれば、私たちは生死(しょうじ)の苦悩を解決できるということになります。果たして、それは私たちに可能なのでしょうか。
親鸞聖人は『一念多念文意』という書物の中で、次のようにおっしゃっています。
「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず……
【現代語訳】「凡夫」というのは、わたしどもの身には無明煩悩が満ちみちており、欲望も多く、怒りや腹立ちやそねみやねたみの心ばかりが絶え間なく起こり、まさに命が終わろうとするそのときまで、止まることもなく、消えることも、絶えることもない……
自分の都合を振りかざして生きる限り、この世は「迷い」「苦しみ」の連続です。しかも、そのような苦しみを生み出す私の煩悩は尽きることがありません。迷いの「生死」は、まるで果てしなく広がる海のようです。
一方で、親鸞聖人はこうも示しておられます。
生死(しょうじ)の苦海(くかい)ほとりなし
ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓(みだぐぜい)のふねのみぞ
のせてかならずわたしける
【現代語訳】苦しみに満ちた迷いの海はどこまでも果てしなく続いている。その海に長いあいだ沈んでいる私たちを、阿弥陀仏の本願の船だけが、必ず乗せて浄土に渡してくださる。
阿弥陀仏如来の願いのはたらきこそが、苦海から私たちを救い、悟りの岸である「彼岸」へと運ぶ船であると譬えられています。
「悟り」という価値に出遇わなければ、私のすがたを「迷い」として知ることはできません。
そして、私たちが抱える迷いを迷いとして知らせてくださる悟りのはたらきそのものが「迷い」「苦しみ」の海に沈む私たちをそのまま救い取るはたらきでもあるのです。
さらに、それは私の命が尽きれば必ず「迷い」を超えた「悟り」の世界である浄土に往生させてくださる願いのはたらきでもあります。
迷いの世界である「生死」は、いのちの行く末を示し、必ず私たちを救うという阿弥陀如来の願いの喚(よ)び声を聞く場でもあるのです。
過ごしやすくなってきたこの時期は、彼岸へ参っていった亡き人を偲ぶだけでなく、残された私たちひとりひとりが彼岸へと到る仏さまの教えをお聞かせにあずかる大切な時間です。
【参考・引用】
『註釈版聖典』
『一念多念文意 現代語版』
『三帖和讃 現代語版』
『浄土真宗辞典』
『季刊せいてん no.108』
合掌