狐と葡萄

物語とは、理屈では難解な世界と私をつなぐ架け橋のような役割があります。

例えば──自分にとって受け入れられない出来事に遭遇したり、何かショックを受けるような状況にあったときに、そこで生じる不安を軽減しようとする心理的メカニズムを「防衛機制(ぼうえいきせい)」といいます。
分かりやすいのは精神的に追い詰められて奇声をあげるとか暴れるといった行動による防衛です。他にも満たされなかった欲求に対して「理論化して考える」という方法で自分を納得させる「合理化」といった防衛などなど。

さて、この「合理化」については次のような物語で説明されることが多いです。

お腹を空かせたキツネが歩いていると、おいしそうな葡萄(ぶどう)が枝から垂れているところに通りかかりました。

どうにかして葡萄を取ろうと、爪先立ちしたり、飛び跳ねるキツネ。しかし、どうしても取ることができません。

しばらくして、ジーっと葡萄を眺めていたキツネが言いました。

「ふん、あんなぶどうおいしくないや。まだ、すっぱくて、食べられやしない」

ぶどうを睨みつけると、そのままどこかへ行ってしまいました。


「すっぱい葡萄」と呼ばれる『イソップ寓話』のひとつです。

人・物・財産・地位など、本当は手に入れたくてたまらない……にも関わらず、努力しても手が届かない対象を目の前にした時に、その対象を「価値がない・低級で自分にふさわしくない」と思い込むことで心の平安を得るのが「合理化」です。
理屈っぽい話も、共感しやすかったり、想像しやすい物語で語られると腑に落ちることが多いのではないでしょうか。

合掌

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2018年04月09日