剃髪2


剃髪は、家を捨て、家族を捨て、仏道修行に励む出家者のための規定であるため、在家仏教の浄土真宗では採用されません。


例外として浄土真宗の僧侶となるために得度式を受ける時は剃髪をします。
これは親鸞聖人が得度された時の作法に倣ったもので、特に教義的な意味はありません。
女性も希望者は剃髪できますが、男性とは違ってうなじの毛を剃るだけで剃髪とみなされます。


また、普段は剃髪をしなくても構わないということは、裏を返せば剃髪をしても構わないということです。


実際に浄土真宗の僧侶にも剃髪をしている人が多くいます。
髪型は教義や救いとは関係ありませんから個人の趣味といっていいのですが、剃髪していない私からすれば、剃髪をしている人は立派だと思います。


というのも、私が仏教のことを何も知らない人間だったら、きっと坊主頭のお坊さんの話を聞きたいと考えます。
もっと言えば、有髪の僧侶と剃髪した僧侶から同じ話を聞いた時に、恐らく剃髪した僧侶から聞いた話の方がありがたく聞こえる人も多いような気がします。あくまで個人的な見解です。

坊主頭の人は仏さまのはたらきを妨げる障害を私よりひとつ多く取り除いているのかもしれない……と考えると、やはり凄いことです。


実は私自身も「僧侶らしくあろう」と頭を丸めた時期があります。
しかし、自分が頭を丸めていることを立派なことと勘違いして「髪を伸ばしている僧侶はけしからん」と有髪の僧侶を叩く心が出てきたので、マズいと思ってすぐにやめました。

当時の私のように「髪を生やしている僧侶はダメだ」と怒っているツルツル頭のお坊さんをたまに見ます。
剃髪していることは立派だと思いますが、剃髪していることを武器にして有髪の僧侶を叩く姿はとても醜いです。

剃髪に限らず、自分が本心ではやりたくないことをすると、「やりたくないことをやっている自分は凄い」と自己正当化が始まるだけでなく、
それを武器にして「やっていない人」を見つけて叩くことがあるので非常に危険です。


そのことに気づいてからは有髪です。
親鸞聖人も有髪だったとはいえ、前述したように僧侶の姿が仏教の入り口となることを考慮すると、剃髪している人の方が立派だと個人的には思います。
ですが、そのことを自分で偉いと勘違いするくらいなら伸ばした方がいいのでしょう。

合掌

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2018年08月03日