一念多念

昨日から東北教区常例線のご縁をいただいています。今日は移動日です。
東京から自家用車で来ているため、いろいろと道中を見て回ることにしました。


こちらは喜多方市にある浄土宗寺院の願成寺。1227(嘉禄3)年、浄土宗開祖である法然聖人の高弟・隆寛律師(りゅうかんりっし)が開いたと伝えられています。


浄土宗多念義派の本山です。


浄土真宗の宗祖である親鸞聖人に大きな影響を与えた法然聖人門下の先輩は、聖覚法印と幸西大徳、そして隆寛律師といわれます。
親鸞聖人の晩年の著述である『一念多念文意(いちねんたねんもんい)』は、隆寛律師の『一念多念分別事(いちねんたねんふんべつのこと)』に引用された漢文聖教の文のこころを分かりやすく解説くださったお聖教です。
浄土真宗の僧侶が用いる聖典には隆寛律師の法語の聞書である『後世物語聞書』が掲載されているため、私たちにとっても親しみのある先師です。


宗祖は晩年、京都に帰られてから、隆寛律師の著述を書写して送られたことが分かっています。
特に『一念多念分別事』を書き与えられたのは、関東の門弟集団の中で問題になっていた「一念多念の諍論」を誡めるためでした。
浄土宗では隆寛律師は多念義の祖と考えるようですが、浄土真宗では「隆寛律師は多念の念仏者ではあるが、いわゆる多念義ではない」と考えます。

一念義と多念義

法然聖人の教えを誤解したふたつの極端な異議があります。ひとつが一念義、もうひとつが多念義です。

一念義とは、「わずか一声までも念仏する者は往生が決定すると信じなさい」といわれた言葉を誤解して、
「念仏は一声に無上の功徳があり、一声(とな)称えたときに往生が決まるのだから、それ以上称える必要はない」と考え、念仏を軽視した人々です。

多念義とは、「力を尽くして臨終まで称え続け、臨終には心を鎮めて正念に住し、如来の来迎を確認するのが念仏往生だ」と考え、平生の信心を軽視した人々です。

どちらも法然聖人の「念仏往生」のご法義に対する間違った理解です。

阿弥陀如来の48願の中心である本願(第18願)には、信心(至心信楽欲生)と念仏(乃至十念)とが誓われています。
「本願を信じて、念仏する者に仕上げて浄土へ迎え取る」という仰せですから、どちらか片方だけを取って他を軽視することは本願の仏意に対する誤りです。

本願に誓われた信と行について、『西方指南抄』には「信おば一念に生(うまる)ととり、行おば一形(生涯)をはげむべし」と教えられています。

本願を信じるとは、本願念仏は一声一声が「かならず救う、まかせよ」と私を喚(よ)んでくださる阿弥陀如来のお言葉です。
わずか一声までも必ず往生させる徳が具わっています。その真実をお聞かせにあずかるときに往生が決定する信心が定まることを「信おば一念に生ととり」とお示しくださいました。
他にも「南無阿弥陀仏ととなえば、こえにつきて決定往生のおもひをなずべし」とも述べています。信心安立(しんじんあんりゅう)についての説きぶりですから、安心(あんじん)門のご法義ともいわれます。

「行おば一形をはげむべし」とあるのは、「本願を聞き受けた衆生は、聞き受けた通りに如来から与えられた念仏を一生涯相続しなさい」と勧められた言葉です。
私たちは死ぬまで凡夫です。ともすれば阿弥陀如来から離れて、妄念煩悩に引きずり込まれる日々を過ごしています。
だからこそ阿弥陀如来の喚び声を聞きひらき、み教えの中をお念仏を申しながら生き抜く生活を送るように法然聖人はお示しくださいました。
浄土をめざす人の姿を誓われていることから、この説きぶりを起行(きぎょう)門のご法義ともいいます。


このお寺には「会津大仏」と呼ばれる阿弥陀三尊像が安置されています。


願成寺以外にも、空海開基と伝えられる示現寺や、


三一権実諍論で有名な徳一(とくいつ)によって開かれた慧日寺へ参拝。


ニュースで見て気になっていた「薬師如来坐像」を拝観することができました。


復元制作は「東京藝大大学院美術研究科文化財保存学専攻保存修復彫刻研究室」が担当。
CG技術をはじめとした最新の技術を用いて7月31日に復元が終わったばかりです。


テレビの取材も来ていました。今回の復元工程を追ったテレビ番組が東北地域限定で放映されるそうです。


ナビゲーターは私世代にとてもなじみ深い女性タレントの方でした。


さらに見聞を広めるために徘徊。


散策。

合掌

前の投稿

次の投稿

2018年08月09日