むなしい1

本願力(ほんがんりき)にあひぬれば
むなしくすぐる人ぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし

親鸞聖人の有名な言葉のひとつです。詩の形式で浄土真宗の教えを表しています。


ここで目を惹くのが「むなしくすぐる」という一節です。インパクトがあるため、この言葉を説明するときに触れないわけにはいきません。


しかし、「仏さまの願いのはたらきである南無阿弥陀仏に出遇わなければ、人生はむなしく終わってしまいます」まではいいのですが、「では、むなしい人生とはどんな人生でしょうか」と説明を始めると問題があるように思います。


というのも、人間は誰しもが自分の人生は「むなしくない、意味のあるもの」だと考えて生きているからです。


もちろん、中には「俺の人生は無意味でむなしいものだ」と悲秋に暮れている人もいるでしょう。ですが、その人はその人なりに「自分の人生は無意味でむなしい」という言葉によってそこに意味を見出そうとしています。


誰もが自分の人生には何かしらの意味付けをして、そこに価値があるように考えているものです。だから自分で自分の人生を「本当に無意味だ、むなしい」とは思えません。
ということで「むなしい人生」をいくら説明したところで、無意味なのではないでしょうか。

合掌

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2018年04月11日