調声

僧俗の概念がない(?)浄土真宗では、基本的に僧侶だけではなく門徒・参拝者も一緒になって読経(おつとめ)します。


しかし、「せーのっ」で一斉にお経を始めるわけではありません。最初の1行目は調声(ちょうしょう)や導師(どうし)と呼ばれる代表者が唱え、他の人たちは続きから唱え始めます。


この1行目の独吟部分(ソロパート)は、僧侶が担当することが多いです。

ここで問題となるのが、「おつとめの音の高さはどうするのか」です。
基本的に「このおつとめはくらい」「これはで読む」など、目安となる音の高さは決められています。ただし、調声がバッチリと指定の音を出せるかは人によるため、2行目から続く参拝者は、とりあえず調声・導師の出した音の高さに合わせるのが原則です。


一方で、人間とは不自由なもので「レ」とか「ミ」、「ラ」といったある程度の目安が最初に提示されると、そこに縛られてしまいます。


すると、仮に「レ」という目安のおつとめの出だしを「レ♯」で出してしまうと、「あいつは半音高い」と細かな違いを指摘してで優越感に浸る僧侶が現れます。
大事なのは「正確な音で出せるか」ではなく、「全体の雰囲気」なのですが……。


また、どちらかというと、おつとめは男性が唱えやすい音域で作られているため、「決められた音が高すぎて声が出ない……」と苦しんでいる女性僧侶を多く見てきました。


とある先生が「“勤式・儀礼”は“趣味・遊び”のようなもの」とおっしゃっていました。つまり、「命懸けで真剣に正しくやらないといけないものではない」という意味です。
浄土真宗は上手にお経をあげる人が救われる宗教ではないから当然です。

もちろん、真剣に命懸けで正しくおつとめをすることも素晴らしいです。しかし、そうでない人であっても構わないのが浄土真宗の報謝行ではないでしょうか。
向き不向きはありますから、自分が唱えやすくてよく響く音域でいいはずです。

なかなかそこまで割り切るのは難しいかも知れませんが。

合掌

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2018年05月18日