このホームページはそれなりに更新頻度が高いため、インターネットで仏教用語を調べていると検索上位に上がることも多いようです。
ありがたいことにいろいろな人が見てくださるようで、稀に質問メールが届きます。
内容は仏教や浄土真宗の教義に関すること、仏事のこと、人生相談などなど。
先月末にこんなメールをいただきました。
Q.浄土真宗は性善説ですか? 性悪説ですか?
送信くださった方から「ブログにまとめてください」とリクエストがあったのでここに記します。
さて、質問をいただいたものの、私は性善説や性悪説などの用語に詳しくありません。
とりあえず何冊か中国哲学の本を読んで勉強をしてみました。
どうやら中国では「性論(せいろん)」という「人間の本性とは何か」をめぐる議論が昔あったようです。
「性」とは人間が生まれながらに持っているものであり、
さらにそれは天から受けたものだと考えます。
この「天」という昔の中国の人が考えていた概念がそもそもよくわかりません。
とにかく「天は善であるから、人間の性も本来は善である」と孟子(もうし)をはじめとした哲学者が性善説を説きました。
この性善説を元にして儒教道徳は発展をしたといわれます。
ところが、性善説には大きな問題がありました。
なぜなら、現実には多くの「悪」が存在します。
「人間の本性が善ならば、悪ってなんなの?」
性善説では、この悪の説明が難しかったようです。
告子(こくし)という哲学者は「性に善も悪もない」と主張し、孟子と論争を繰り返しました。
決着はつきませんでしたが、性善説側は「本性が善である人間が悪を犯すのは、欲に覆われて善を忘れてしまったから」という主張に落ち着きます。
そんな中、孟子の50歳後輩であった荀子(じゅんし)が性悪説を説きました。
「人間の本性は悪である」と受け取ると、性善説と対立する考え方のように思えます。
それだけでなく
「人間の本性が悪ならば、善ってなんなの?」
性善説とおなじく、こういった反論を生む余地が大いにあります。
ところが『荀子』第23章「性悪篇」によると、「人間は性悪であるから悪に走りやすいが、努力次第では善人になれる」とあります。
要するに性悪説は「人間の本性は悪だ(だから信用するな)」という説ではなく、「人間は基本的に悪であるが、頑張れば善になれるから努力しましょう」という説です。
改めて、このふたつの性論について『広辞苑』で調べてまとめてみましょう。
【性善説】
人間の本性は善であり仁・義を先天的に具有すると考え、それに基づく道徳による政治を主張した孟子の説。
【性悪説】
荀子の性説。人間は欲望を持つため、その本性は悪であるとして、礼法による秩序維持を重んじた。
こうして整理してみると、性悪説も善を否定しているわけではないことがわかります。
よく勘違いされていますが、性善説と性悪説は対立概念ではないのです。
「人間は善なんだから、サボらず頑張ろう!」と「人間は悪だけど、サボらず頑張ろう!」とどちらも同じ矢印を向いています。
両者ともに「人間は頑張ったらなんとかなる」と人間の根源的な可能性を信じている説なのです。
さて、浄土真宗はどうでしょうか。
個人的には告子による性無善無悪説も「善悪のふたつ、総じてもって存知せざるなり」の親鸞聖人の立場に近いようで捨てがたいです。
しかし、やはり「阿弥陀如来が救いの目当てとご覧になった私は悪人であった」という悪人正機のご法義ですから、
「人間は悪業煩悩の身であり、善にはなれない」
と私は受け止めています。
この図説だと機攻めのようで誤解が生まれそうですが……
Q.浄土真宗は性善説ですか? 性悪説ですか?
A.敢えて言えば性悪説が少し近いように感じますが、本来の意味から言えば性善説でも性悪説でもありません。
質問に対する答えとしてはこんなところでしょうか。
(参考)「性弱説」