前回、孟子の性善説と荀子の性悪説について少し述べました。
他の説も紹介いたします。
告子による「善と悪は環境によって変化するから、性善とも性悪ともいえない」という性無善無悪説。
揚雄(ようゆう)による「人間の性には善と悪が混ざっている」といった性善悪混説。
韓愈(かんゆ)による「性は善悪といった二項対立ではなく、性には上中下の三品があって、それを人によって善と悪に区別する」という性三品説。
朱子(しゅし)は「人間の心は生まれた持った性質(本然の性)」と、その性質の働きとして表れる「気質の性」に分けました。
そのうえで、勉学によって本然の性を磨くことを推奨しています。
「性」がさし示す内容が曖昧であり、はっきりとした規定がないままに議論を重ねてきたため、これ以降「性論」は廃れてしまいました。
話が逸れますが、浄土真宗では問答を議論するときに「釈名(しゃくみょう)」といって、言葉の定義を最初にお互いで確認します。
改めて大事なことであると感じました。
性論に話を戻しますと、最終的には後世の思想家や哲学者に取り上げられた性善説が中心となっていったようです。