山のあなた(彼方)の 空遠く
「幸」住むと 人のいふ。
噫、われひとと 尋めゆきて、
涙さしぐみ、 かへりきぬ。
山のあなたに なほ遠く
「幸」住むと 人のいふ
「山のあなた」カール・ブッセ
山の遙か向こうの地に行けば、幸せがあると聞いてその地を訪ねても、そこには幸せはありませんでした。
「山の向こうのさらなる彼方(あなた)に幸せがある」と、また人は言います。
幸せを求める人は、さらなる彼方へ行くのでしょうか。
私たちは今の生活に不満があると、どうすれば満たされた生活ができるかと考えます。
例えば、「南の島できれいな海を見ながら生活したい」という人がいるかもしれません。
「職場が変われば幸せになる」「結婚すれば満たされる」という人もいるでしょう。
南の島の生活は素晴らしいでしょうし、転職も今の時代はよくあることです。
しかし、今が面白くないからといって南の島に移住しても、楽しく幸せな日々がある一方で、やがては悩みが生まれ、不満が出てきます。
再び次の場所へ移ることになるのかもしれません。
そのときに「南の島に来て良かった」とは思えないでしょう。
私たちはいつも「あのようになればいい」「このようになりたい」と思いをめぐらせます。
無意味ではないでしょうが、むしろ「私の住む世界はここしかない」という事実を知ることが大切です。
「ここしかない」が明らかになると、そこに不満や面白くない気持ちがあっても、「ここで頑張ろう」と思ったり、「何かいいこともあるはずだ」と満足感やよろこびの生活を見つけることができます。
離職して、南の島へ移住しても「私の生きる場所はここである」という思いがあれば、満足感につながる生き方に必ずつながります。
そのことを浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は「凡夫 煩悩の泥のうちにありて仏の正覚の華を生ず」と示されています。
この煩悩に満ちた世界が私の生きる世界であり、ここで自分を見つめて生ききること──泥田の中に蓮が咲くように、煩悩の泥の中で仏のさとりにつながる花を咲かせます。
〈参考『月々の言葉』より〉