こんなくだらない感情のせいで、どれだけの人がやりたいこともできずに死んでいくのか
ジョン・レノン
私たちは、無意識のうちに人の目を気にして生きています。
毎朝、鏡の前で髪を整え、服装をチェックするのも、他人にどう見えるかを気にしているからです。
「好感を持ってもらえるだろうか」「おかしいと思われないだろうか」と多くの人が他人の目を気にかけ、奇異に映らない服装をしようと気にかけます。
身だしなみだけではありません。自分という人間は他人の目にどう映っているのか、すなわち「他人からどう評価されているのか」も、たえず気にしています。
「できればみんなから嫌われたくない」「職場でいい人だと思われたい」などという気持ちも強いでしょう。
それは人間としてごく自然な行為で、必ずしも悪いことではありません。
他人の目を意識するからこそ、服装や髪の毛を整え、ひげを剃り、靴を磨こうとするのであり、また、人生の道を踏み外しかけたときに、「こんなことしては世間から嫌われるかもしれない」などと歯止めがかかることがあるからです。
ただ、他人の目を気にしすぎるのも問題があります。
たとえば子どもの進学に関して、子ども自身がめざすべき人生のためであるのならよいのですが、「いい学校へ行ってくれないと恥ずかしい」などと、親の体面のためにむりやり勉強をさせるのは行き過ぎと言わざるを得ません。
また、自分自身が周りに合わせて生きることに汲々とする生き方も虚しさが生じるばかりではないでしょうか。
確かに世の中は、何ごとも自分独自の考えでやりとおすのは難しく、ある程度は周りに合わせていかないと生きづらい面はあります。
しかし、仕事や結婚など、自分の人生にとって中心的な事柄については、自分が何を求めているのか、自分が為すべきことは何なのかを、はっきりと自覚して生きていきたいものです。
周りに合わせてばかりの人生では、「自分の一生はいったい何だったのだろう」とあとで虚しくなりかねません。
〈参考『人生は価値ある一瞬』より〉