しかし、本日の法座中にノイズが発生することが発覚。導入したばかりなので、ちょっと凹みました。
いろいろと調べても直らないため、担当者に連絡。当然のごとく謝罪の嵐でした。
営業マンとしては当然の対応かもしれませんが、原因は分かりませんし、別にその人が手を抜いて作ったものではないので、あまり謝られてもこちらが恐縮してしまいます。
浄土真宗の人間観のひとつに「無慚無愧(むざんむぎ)」という見方があります。
自分で自分の悪に気づいて自覚し、反省することができないのが人間です。
そのことを知らされるのも仏さまの光明のはたらきによります。
そんなことを考えていると、「相手に謝罪させよう」とか、「相手に反省させよう」とするのは意味がないように感じます。
それが分かっていても、場合によっては相手を裁くことが止められない……それもまた人間の業でしょう。
合掌