去年と同じく栃木県の親戚のお寺へやってきました。
ご住職が母の従兄弟、副住職は私の又従兄弟(はとこ)です。
開基の性信房は親鸞聖人の門弟二十四輩の第一。姓は大中臣、名を與四郎といいます。出身は常陸国鹿嶋です。
非常に力が強く乱暴者で悪さばかりしていたため「悪五郎」と呼ばれていました。
1204(元久元)年2月、18歳の時に熊野権現に参詣したついでに京都まで赴き、そこで法然聖人の教えを聞くと改心して弟子になったといいます。
後に親鸞聖人に弟子入りして性信と名のり、以降30年に渡って聖人に付き従っていました。
京都から越後へ随行し、さらに関東の生活でも聖人を支え続けていたといいます。
聖人が京都へ帰る際も、共に箱根まで付き添いました。そこで、
「性信房、あなたは関東に留まって阿弥陀如来のご法義を相続してください」
と命を受けて踵を返すことに。
このときに『顕浄土真実教行証文類』を聖人から渡されました。
それから性信房は下総国横曽根に報恩寺を建立。
1250(建長2)年の7月に、「自分の前世の遺骨がある」と夢で見た場所にお寺を建てました。
その後も相模の鎌倉、上総の藻原、下野の佐川野にそれぞれお寺をつくって「法得寺」と名付けたといいます。