人間はさまざまな願いを持っていきています。
何も願いがなければ、生きることは難しいでしょう。
日常生活では欲しいもの、見たいもの、行きたいところがたくさんあります。
人生では自分や家族の健やかな成長や幸せを願い、病気をせず、老化しないようにと願います。
私の願いを省みると、自分中心の願いが多いのではないでしょうか。
普段はあまり気にしませんが、特に深刻に考えるのは「いのち」についての願いです。
「生きる意味をハッキリさせたい」
「人生をむなしく終わりたくない」
これらは「いのち」の根本問題であり、解決は簡単ではありません。
阿弥陀如来という仏さまの慈しみの心がもっとも響くのは、このような「いのち」に関わる場面です。
もっとも頼りにしてきたわが身が、あてになるとは限らないことに気づくとき、わが身全体をそのまま包み込んですくってくださる阿弥陀如来の「南無阿弥陀仏」のはたらきが身に染みて味わわれます。
いつでも、どこでも、阿弥陀如来がとも生きていることをお聞かせにあずかる。
そのときに私たちの人生の生きる意味と目的が変わってくるのです。