地元の友人と話していたら、ブログにアップした性論について話題にあがりました。
「君のブログを読んでいて思ったけど、日本は……少なくとも私の会社は性善説だと思ったよ」
「どうして?」
「例えば、朝の出勤時に電車が遅れた時はどうしていると思う?」
「会社に電話して連絡すればいいんじゃない?」
「いや、改札で駅員さんから遅延証明書をもらって提出しないといけないんだよ」
「学校でもそういうのあったなぁ」
「これって『本来は遅刻をする訳ないのに、遅刻するということは何か理由があるはずだから証拠を見せろ』って性善説だよね?」
「本来の意味とは違うかもしれないけど、言いたいことは分かるよ」
「待ち合わせでも遅刻したら怒られるけど、時間通り来ても褒められることはあまりないじゃん?」
「そうだね」
「あと、会社の出勤時間に遅れる時はそうやって理由付けが必要なんだけど」
「うん」
「会社を残業する時はそれが当たり前みたいな扱いを受けるだろう?だから日本って性善説が強い気がするんだよね」
「昔の中国の影響が強いからね」
「息苦しくて仕方がないよ」
──と友人が肌で感じていることを教えてくれました。
人間は不完全であるにも関わらず、相手には完全を求めてしまいがちです。
それこそが人間の不完全性といえるでしょう。