「文京区議会議員選挙」と「文京区長選挙」が近づいてきました、
候補者の街頭宣伝車が区内を駆け回っています。
今日の午前中はお寺で法要中にも関わらず、大きな音が聞こえてきて困りました。
「正直、逆効果なんじゃないだろうか?」と疑問に思って調べてみると、意外と効果があるそうです。
「今回のデータを見ると、候補者が有権者に近づけば好感度が上がり、その結果投票に向かわせるとは言えないようです。好感度は上がらないのに、投票にはつながるのが興味深い」と三浦教授。
好感度よりも、有権者が候補者の名前を選挙カーを通じて繰り返し聞くことで、「熱心な政治家だ」と評価し、それが投票行動に結びついたのかもしれない、と推論していました。
引用【選挙カーの名前連呼って、本当に効果あるの? ⇨教授が実際に研究してみた結果…】
選挙カーを不快に感じるような選挙に関心の薄い人間には、候補者側もどう思われようと構わないのかもしれません。
それならば欠かさず投票に出向く人へ印象を強めることの方が大事ということでしょうか。
以前、仕事で赴いた学校で「○○先生を講演に招くと、自分が所属するNPO法人を宣伝ばかりするから困る」と話す担当者がいました。
しばらくして、そのNPO法人の職員さんに会ったときに「当団体の支援者でもっとも多いのは『○○先生に話を聞きました』という方です。先生がいつも講演の時に当団体をご紹介くださるおかげです。先生には頭が上がりません」と話を聞きました。
興味のない人からすると先生の個人的な宣伝を「やめて欲しい」と感じるのかもしれませんが、実際に支援者は増えるというのが面白いです。
同じように、僧侶も自信を持ってご法義を伝えることが大事なのでないでしょうか。
本人のキャラクターにもよりますが、伝道布教という点において多少の熱量や積極性、図々しさはあっていいと感じます。
「そんなことをしたら、仏教に興味のない現代人が逃げてしまう」という声もあるかもしれません。
以前、研修会で
最近の僧侶は分かりやすい成果を求め、目先の「ご縁のない人」に対しての伝道布教ばかりを意識しているせいで、世間や時代に迎合した話をする人が増えました。
しかし、そのせいで「ご縁のある人」や「本当に仏法を聞きたい人」を置いてけぼりにしている現実があります。
「興味のない人」よりも「興味のある人」への伝道が効果的であることは言うまでもなく、「ご縁のある人」も元々は「ご縁のない人」であったことを忘れてはいけません。
と先生がおっしゃっていたことを思い出します。