18品

築地本願寺に新しくできたカフェには、「18品の朝ごはん」という人気メニューがあります。


16種類のおかず+おかゆ+味噌汁です。


「18」という数字は、もちろん浄土真宗の仏さまである阿弥陀如来の「第18願」に由来します。
しかし、残念ながらメニューにはそのことが詳しく記載されていません。
そこで、説明用のカードを作ることになりました。

【①】『無量寿経』には、阿弥陀如来が法蔵菩薩と名告(なの)って修行されていたときに、「私が仏になったら、苦しみ悩む人々をこのような方法で救い、このような浄土へ迎え取り、このような悟りの身にしてあげよう」と48通りに願い誓われたことが説かれています。その根本となるが「すべてのいのちに居場所を与える」と誓われた18番目の本願です。
この本願を聞くということは、阿弥陀如来の願いにしたがって自分の生きることの意味と死ぬことの意味をハッキリと確認していくことです。私が生きているのはどのような意味を持ち、どのように生きればいいのか。私が死ぬことはどんな意味を持ち、死をどう受け入れればいいのか。いのちの現在地を見失いがちな時代であるからこそ、生きることのまことの意味と、死ぬことのまことの意味を教えてくださる仏さまの願いを聞いてみましょう。
【②】浄土真宗のお寺の本堂の中心にご安置されているのは、阿弥陀如来という仏さまです。経典には「法蔵菩薩が48の誓願を成就して阿弥陀如来となった」と説かれています。その中心は、18番目の「あなたの人生をむなしく終わらせない」という願いです。「むなしくない人生」とは、物質的な豊かさ、健康、快適な人間関係ではありません。快適な生活を求めて、世の中の流れに身をまかせるだけでは、人生が何かのために利用される手段・道具になってしまうおそれもあります。外見的には困難に見える人生でも、目に見えない大切なものをわが身に持っているならば、こころ豊かな、空しくない人生となりましょう。
目に見えない大切なものとは、一人ひとりが縁によって獲得するべきものです。浄土真宗のお寺では、それは阿弥陀如来の願いであるとお伝えします。手っ取り早い解決方法にはなりませんが、「自分さえよければ」「今さえよければ」という狭い思いを打ち砕く大切なはたらきを持っています。
【③】私たちはだれもが年を重ね、病気にもなり、やがては死を迎えねばなりません。「そうかも知れないが今の自分には関係ない、まだ先のことだ」と考えて日々を送る人も多いでしょう。しかし、このような思いはいつか必ず打ち砕かれる日が訪れます。「この世も私自身も、いつも移り変わってゆく」と教えるのが仏教です。
阿弥陀如来は、移り変わる世界の中で苦しみ悲しむ私たちをご覧になって48の願いをおこされた仏さまです。その中心は18番目の「あなたのいのちをむなしく終わらせたくない」という願いです。根本の願いであるから、本願とも呼ばれます。築地本願寺は、阿弥陀さまの本願をお聞かせいただくお寺です。
【④】『無量寿経』には、阿弥陀如来が法蔵菩薩と名告って修行されていたときに、「私が仏になったら、このように生きとし生けるものを救おう」と48通りに願い誓われたことが説かれています。その根本となるのが「すべてのいのちに安心を与える」と誓われた18番目の本願です。
この本願が「ナモアミダブツ」という声の仏さま(名号)となって、いつでも私たちに届けられています。「ナモアミダブツ」とお念仏をとなえることは、安心して一日一日を生きていける「阿弥陀さまがご一緒の人生」をめぐまれるということです。
【⑤】「浄土真宗とはどんな教えですか」という問いに対して、「阿弥陀如来の本願の教え」と答えることができます。経典には、「法蔵菩薩が48の誓願を成就して阿弥陀仏となった」と説かれています。48願の中で、私たちの往生を誓った願が第18願です。この願を根本の願という意味で本願といいます。本願には「阿弥陀仏を信じて、念仏する人を浄土に迎えて、仏の位を得させる」と誓われています。浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は、本願によって浄土に往生する身に定まったといわれ、本願を依りどころに生涯を生きられました。したがって、浄土真宗とは、阿弥陀如来の本願の教えであるといえます。
私たちは誰もが阿弥陀如来に願われている身である。そのことを味わう場所が浄土真宗のお寺です。

18願を端的に説明するのは、なかなか骨が折れます。とりあえず様々な本を参考にしながら、上記のような文章を15パターン作成。
そこから3パターンを選んで、さらに短く要約をしました。


デザインの原案も考え、おおよそが完成しました。これから偉い人たちの審査が入るようです。

合掌

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2018年05月30日