泣きどころ

バーベキューに参加した際に、先輩から「真宗の泣きどころ」というものを教えていただきました。


今から約60年前に宗教学者の高木宏夫氏が、当時の宗門の問題点を15に分けて提言をされたそうです。

真宗の泣きどころ



①僧侶の方で熱心な燃えるような信仰の人に出おうたことがない。

②なんとかせねばならんと幼稚園などいろいろやっておられるが、それが信仰中心になっていない。

③大衆を教えてやるという姿勢ばかりで、信仰中心に、一般と共にという態度がないと。

④真宗の坊さんには、知識のあることが信仰のあるように錯覚している。知識だけで大衆との触れ合いがなく、インテリすぎて、一般から浮き上がっておる。

⑤布教が老人層には向けられているが、なぜもっと壮年層にはたらきかけないのであろうか。

⑥浄土真宗は、現代の人類、現代の文明に、何を果たし、何を答えていくかという宗教運動となっていない。

⑦ひとつ、大衆との接点が、儀礼だけでつながっている。大衆活動家を育てようともせぬが、また育つ余地もない今の真宗では、ただ今ある寺院を育てるのが精一杯じゃないか。

⑧墓地と行事にのみ教団をささえる根源を有しているようだが、これでいいかと。

⑨伝道をただ真宗の教義を平易に説くことと思いあやまっていないか。教義を平易に説くだけでは伝道とならん。それは講義だ。伝道は、人間ひとりひとりの苦悩に触れていかねばならない。

⑩現代人は、真宗の教義がわからんと言って悩んでおるようなひまな人はいない。貧、病、争、事業の失敗等を縁として人生の見通しと安らぎを求めている。

⑪宗教は生きていく方向と主体の確立を与えねばならない。価値体系が、近代的にはっきりと打ち立てられていない真宗では、大衆の価値転換が行われない。どれだけその人が法を聞いて価値転換されたかというようなことが注意されていないではないか。

⑫真宗の教理も順を追うて段階的に教えられるべきものであろう。そのへんの研究が足りない。

⑬新しく寺を立てようとする人たちを大きく育てる面が欠けていないか。むしろ、たたき落とそうとするように見えるがどうか。

⑭人間が実力主義に人材が使われていない。宗門で、ひとつ、機関誌、つまり『本願寺新報』と『大乗』ですね。機関誌がもっと大衆向きになり、信者側にたって、この運動の武器とならねばならんと思うがどうか。

⑮一方通行の布教だけで、両方通行、多方通行の「話し合い 法座活動」が行われていない。人間は人と人との触れあいの中で育てられ成長する。ことに、現代人にとって大切な一対一の布教が行われていない。



先輩の話を聞きながら、「現代とあんまり変わってないなぁ~」と感じました。

──ということは「約60年間、改善がされていない」といえるのかもしれません。

同時に簡単に改善することが難しい、「怠慢」や「怠け心」が出やすい部分なのでしょう。

だからこそ、これらが変われば……と考えることもできます。

詳しくは先輩のブログをご覧ください。

合掌

前の投稿

次の投稿

ブログ一覧

2019年05月01日