死んだらパーの人生ならば 何をやってもパーの素(もと)

「死ぬとすべてが終わり」「死んだらおしまい」と考える人は多いです。
そうした人は、当然、いま生きていることだけに価値を求め、そのことに執着することになります。

一方で、「いのちを終えて帰っていける場所」「死を受け容れていく世界」を聞き受ける人にとっては死は決して「終わり」「おしまい」ではありません。
さらに、いまを生きていくということへの見方も変わっていきます。

生きるということは、与えられたいのちを大切にすることです。
しかし、生きていくことだけにとらわれてしまうと、悩みや苦しみが多くなってしまいます。

「生きているうちがすべて」「生きているこの世界のことだけがすべて」という自分自身の思いにとらわれるだけでなく、先に亡くなっていった方を偲び、そのご苦労やご恩へ心を寄せることも、私たちが日常で抱えていく様々な悲しみや苦しみ、死に対するマイナスの感情を、見つめ直すために大切なことです。

お釈迦さまは、「生老病死」の四苦が、「決して思い通りにならない私たちの苦しみの根本である」とおっしゃいました。
そして、この四苦から解放されるためには、「すべての存在や現象は常に変化しており(無常)、固定した実態はない(空)というこの世界の真実の在り方に目覚め、さとる」ということを私たちに「仏教」として教えてくださっています。

また、お釈迦さまは『仏説無量寿経』というお経の中で「真実の世界であるさとりの境地から届いている阿弥陀如来という仏さまのはたらき」をお示しくださいました。

鎌倉時代の親鸞聖人は、その仏さまのはたらきにおまかせすることで、「死を〝浄土往生〟として受け容れていく世界」「死の苦しみの中でもあるがまま私が救われていく世界」があることを「浄土真宗」を明らかにしてくださったのです。

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2020年01月01日