私たちの身の回りで起きる不幸の理由を探しても、本当に納得ができる明確な答えは見つかりません。
答えのようなものを見つけたとしても、簡単には割り切れない気持ちや悔やむ心を抱えながら、どうしようもなく途方に暮れてしまうものです。
「知識」としては理解することができても、「自分の人生」としては受け入れられないところに、人間のいのちの深く重い課題が感じられます。
他人や神仏の祟りせいにして解決した気になるのではなく、「受け入れられないことは、受け入れられないままに生き抜く道」を見つけ出したいものです。
「答えの出ない問いこそ、仏法に聞く」ということを、お寺では大切にします。
自分自身よりも、もうひとつ大きな存在、私を包み込む広いこころ、その中に私のすべてが受け入れられていることに気付くとき、悲しい現実や辛い状況の中であっても、自分のいのちに自信をもって生きることができる道が開かれます。
たとえ周りが自分を見捨てても、自分が自分を見捨てても、「あなたのことは決して見捨てない」とおっしゃってくださる仏さまが、浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来という仏さまです。
仏さまに受け入れられることで、自分自身を受け入れ、他の人びとを受け入れる心が育ちます。
「南無阿弥陀仏」と私たちが声に出して称えるお念仏は、仏さまそのものです。
そして「大丈夫だよ」と告げてくださる仏さまのはたらきが、間違いなく私のもとへ届いてくださっている証拠です。
仏さまとともに過ごす日々をご縁として、不安の中にも、安らかな心を養って参りましょう。