肉食の話

「仏教って肉を食べてもいいんですか?」

と質問がありました。


前回と同じく、先輩が既にブログに書いていましたが、同じ本を持っていたのでこちらにも。

宗教には、食に関するタブーが多い。国際学会などに行くとそれを実感する。世界中から、あらゆる種類の宗教者たちが集まってくる。
血抜きしてない肉や、うろこのない魚を禁じるユダヤ教徒。
酒と豚肉をタブーとするイスラム教徒。
牛肉を絶対口にしないヒンドゥー教徒。
そういった人が一同に会するのだから、レストランは大騒ぎである。
こうしたタブーの多くは、神との関係で決められている。イスラムが豚を嫌うのは、アッラーが「豚を食べるな」と言ったからだし、ヒンドゥーが牛を食べないのは、牛を神だと信じているからである。どの宗教でも「神が嫌がるから」というのが理由である。
では仏教はどうなのか。お釈迦様が創った本来の仏教では、超越者の存在を認めない。つまり我々に、神秘的な救いの手を差し伸べたり、罰を与えたりする者はどこにもいないと考えるのである。
タブーを決める超越者がいないのだから、原則的に食は自由である。なにを食べようが各自の勝手。叱る者も褒めてくれる者もいない。肉食も構わない。
僧侶は肉食をしないと思われているが、それはずっと後になって入ってきた慣習である。仏教は本来、肉食を認める宗教なのだ。
確かに仏教にも、食のタブーはある。しかしそれは、神が禁じたからではなく、自分の修行の妨げになるから食べないのである。
代表的なものとしては、まずはお酒。飲んで酩酊すれば精神集中が乱れる。酒は修行の大敵である。
それから大蒜(にんにく)の類。口臭を気にして人付き合いが悪くなり、その結果、大切な教えを聞く機会を逃してしまうから。まあ、それぐらいである。
「なぜ食べてはならないのですか」と尋ねて、「神がそう決めたから」と言われると、自分の知的好奇心を頭から否定されたようで気分が重くなる。
その点、合理性を基盤として生きる仏教修行者の生活には万人を納得させる端麗さがある。問えば必ず答えが返ってくるのだ。仏教が「智慧の宗教」と言われる所以である。〈佐々木閑『日々是修行』〉

在家の仏教である浄土真宗とは少し受け止め方が異なる点はあるものの、興味深い内容です。


食事に関する、我が身に引き当てた深い味わいについては、松尾宣昭和上の『仏教はなにを問題としているのか』が参考になります。またご紹介します。

合掌

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2019年05月18日