我が我がの「我」を捨てて おかげおかげの「下」で生きよ

オリンピックでメダルを獲った選手の多くが「親のおかげ」「指導者のおかげ」など、支えてくれた周りの人たちへの感謝の言葉を口にします。とても美しい心ではないでしょうか。

浄土真宗では「おかげさま」という言葉のこころを大切にしています。
私たちの今あるいのちは、突然生まれたものではありません。
はるか昔からの連続した長いいのちの流れのうえに恵まれたものです。
どこか途中でひとつでも途切れていたら、今のいのちは存在しません。
今があるのは、まさに「多くのいのちのおかげ」と言えるでしょう。

いのちのつながりは、この「縦の時間的なつながり」だけではありません。
現在の生活の「横のつながり」においても、衣・食・住どれをとっても誰かのおかげです。
また、動植物のいのちをいただいているおかげで、私たち人間はいのちを支えることができています。
「おかげさま」という気持ちは、人間の思い上がりを戒める意味でも大事です。

しかし、自分の都合のよいときには「おかげさまで」と素直に言えても、自分の都合の悪いときにも、同じように「おかげさまで」と言える人は少ないのではないでしょうか。

私たち凡人はとかく、良いときには「神さま、仏さまのおかげ」と感謝し、悪いときには「神も仏もあるものか」とグチをこぼします。
ですが、神さま仏さまは、自分の都合に合わせて取り上げたり、捨てたりする存在ではありません。
いいときも悪いときも見守り、支えてくださっている存在なのです。

大病を患ってつらい思いをした人が「病気になったおかげで生きている喜びを味わえるようになった」「病気のおかげで人生観が変わり、新しい生き方が生まれた」とおっしゃったりします。
あえて病気になる必要はありませんが、そういう望ましくない事態に直面しても、自分が支えられ、生かされていることに気づけば、「おかげさま」という気持ちになれるのではないでしょうか。

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2021年07月01日