地獄への道は 善意で舗装されている

十年前の東日本大震災で「寄り添う」という言葉が急激に普及しました。
その言葉どおり、被災者になんとか寄り添おうと熱心にボランティア活動に打ち込んでいる方もたくさんおられました。

ただ、真の意味で被災者の身に寄り添うのは、言葉以上に難しいのではないでしょうか。自分本位の善意ほど厄介なものはありません。
「自分の行いは善であり、自分は善人である」との思いが強ければ強いほど、他者の苦悩に対する感受性が鈍り、本人が気づかないうちに、その善意がむしろ相手を傷つける結果になりかねないからです。

もちろん、困った人がいれば気にかけて同情することは、無関心よりは人間として好ましいと言えます

しかし、自分自身は安全圏に身を置きながら、「可哀想だな」と上から目線で被災者に同情の目を向けるのは、同情されたほうからは「勝手に涙を流してくれてもうれしくない」と必ずしも好意的に受け止めてくれないばかりか、むしろ反発さえ招きかねません。

自分では相手に寄り添ったつもりであっても、安全圏にいるかぎりは、家を失い、家族を失った被災者と同じ立場にはなりえないと自覚しておく必要があります。
もし、同じ立場になったなどと思ったとしたら、それこそ思い違いでしかなく、かえって相手を傷つけるだけです。

相手と同じ立場にはなかなか立てないと自覚しつつも、なんとか立とうと努力する。そこから出てくる態度は、たとえ限界があるにしても、同情よりは一歩進んだ「寄り添い」になるのではないでしょうか。

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2021年03月01日