「毎日が単調でつまらない……」。単調な毎日の生活が退屈で、虚しい人生であるかのように嘆く人がいます。
しかし、本当にそうでしょうか。実は日々を退屈にしているのは「単調な毎日」ではなく「自分自身」です。
子どものころを振り返ってみると「毎日が単調でつまらない」と嘆いている暇などなかったのではないでしょうか。いつもの通学路であるのに、毎日のように新しい発見があり、常に新鮮だと感じていたはずです。
子どもが感激するこころを持ち合わせているのは、決まりきった価値観や既成概念にとらわれず、自由な視点でものを見たり、聞いたりし、感じられるからです。
私たちは大人になるにつれて、視点が型にはまっていくとともに「感動するこころ」を失ってしまい、「毎日が単調だ」と感じるようになります。
今のこのひとときは、いつまでも続きません。一瞬で過ぎ去って、二度と来ない貴重なひとときです。
それほど大事な一刻一刻を「退屈でつまらない時間だ」と思って過ごすのはもったいないのではないでしょうか。
今このひとときにしかないもの・ないことを、そのときそのときで見たり、聞いたり、体験しようとする積極的な態度で日々を過ごしてみましょう。
すると、普段はぼんやりと通りすぎている通勤路でも、少し道端に目を向ければ小さな花が咲いているのに気づくことがあります。その花に蝶々が舞っていたり、民家の軒先にツバメが巣をつくっているのを発見することもあるかもしれません。柳が芽吹いてきた、街路樹が色づいてきた、こんなところに新しい店ができた……など、新鮮な驚きは至るところにあります。
壁に同じ絵が毎日かかっていても、その絵が好きな人には退屈だと感じられません。ところが、興味のない人は「代わり映えがしない光景だ」と退屈に思うものです。
つまり、同じものを見ても、どう感じるかは、その人によって、あるいはその日の気分や体調などによって違ってきます。
少しも代わり映えがしないように見える状況を嘆くのではなく、その状況でも「今しかできないことは何か」と気持ちを切り替えて、そこから新しいことを発見し、積極的に取り組んでいこうとすることです。そうした姿勢があれば、人生は退屈でなくなります。
人生を退屈にしているのは「退屈だ」と嘆いている自分自身なのです。