1ヶ月ほど続けてきた個人的な地獄の勉強は今回で終了です。
最後に、『往生要集』の講義のときに松尾和上から聞いた地獄の話を紹介します。
地獄って何だと思いますか?
いろいろな味わいがあると思いますが、私は「痛みの極大化」と考えています。
私たちにとっての最大の苦しみは「痛み」ではないでしょうか。
逃れたくて逃れたくて私たちの理想が吹き飛ぶほどの苦しみが痛みです。痛いときには何も考えられません。
痛みは「苦しみの極限」であり、「痛みの極限」が地獄なのです。
では、どうして私たちは「痛み」がもっとも耐え難いのでしょうか?
それは、「自己保存欲」「生存欲」があるからです。痛みに対して強い恐れを抱くのは、それほどまでに自分が深い自己保存本能を持っていることを明らかにします。
この深い自己保存本能が「無明」であり、地獄は無明の極まりです。
この無明の解釈について、昭和の初期に木村泰賢と和辻哲郎による論争がありました。
無明を木村泰賢は「自己保存欲」「生存欲」と解釈し、和辻哲郎は「真理について無知であること」と解釈しています。
しかし、これはどちらも実質的に同じことを言っているのでしょう。
真理への無知とは、自他分別のない真如が分からない私たちの平生の有り様です。
本来は区別のない世界を、煩悩によって「これは机」「これは椅子」と分けることで「机より私が大事」「椅子より私が大事」と認識します。
「我が身をなんとしてでも保存したい」という欲望によって、私たちはこれほどまでに深い地獄を造っているのです。
裏を返せば、地獄の恐ろしい様相を示すことで、はじめて明らかとなる自己への執着があります。
合掌