世界保健機関(WHO)では「科学的な治療では解決しない病気や死に対する恐怖、年を取っていくことへの漠然とした不安など、個々の精神的な悩みにともなう苦痛をいかに解決するかについても検討を始めた」といいます。
人間がよりよく人生を送るためには、物質的な援助(科学的な医療)に加えて、人間の尊厳などに対するスピリチュアル(霊的)な面での援助が必要だというものです。
終末期の介護などを考えるときに、医学的に解決をしたとしても「私は生きている意味はあるのか」など、最後はいのちの問題が残ります。
医療や薬などで取り除けないこの苦痛を癒すのも、緩和ケアの一つの重要な役割とされ、それを宗教的に解決しようとする考え方もあります。
ヨーロッパでは宗教(Religion)と言えば、権威のあるオーソドックスな思想というイメージがあります。
しかし日本では、オウム真理教事件の影響を受けて、宗教に対するイメージはよくありません。歴史があり、大きな組織を持つ既成宗教は窮屈で煩わしいと敬遠され、特定の宗教団体に属さない個々人が唱える「スピリチュアル」なものに精神的な癒しを求め、一時はマスコミでもブームになりました。
こうした活動は宗教を名乗ってはいないものの「霊魂」「たましい」「来世」「過去世」などの言葉を用いて、自然科学や社会科学では解決できない人間のいのちの問題を解決しようとする意味では、宗教と共通する面は少なからずあります。
にも関わらず若い人たちが関心を寄せるのは、徹底した経済的合理主義や厳しい競争社会の中で「一人ひとりのかけがえのないいのち」がわからなくなっているため、日常生活を超えて頼りになるものに生きる支えを求めているからでしょう。
ただ、個人が主導する「スピリチュアル」な活動は自分一人の癒しが主で、世の中をよくしていこうとする社会性に乏しい気がします。
そもそも仏教は少なくとも自分一人が救われればよいとするのではなく「この世を一緒に生きていきましょう」というご縁の世界にもとづいています。その点が、個人の「スピリチュアル」活動と違うところです。
また仏教では死んだあとの世界をこの世の延長線上にあるとするのではなく大きな転換による、新たな永遠のいのちの世界ととらえます。
ですから、この世の煩悩をかかえた人間は、あの世でも同じ煩悩を持って生まれ変わるわけではありません。
あの世は欲望も争いもない仏さまの世界「浄土」であり、人は死を超えて、そこに仏として生まれるのです。
浄土は英訳すると「Pure Land」となります。人間の愚かさや哀しさが転換され、浄化される世界という意味で、このほうがわかりやすいかもしれません。
「スピリチュアル」を癒しの活動ととらえれば、必要かもしれませんが、できれば癒しの段階でとどまらず、もう一歩、人間の生き方やいのちそのものの在り方を考えるところまで進んで欲しいとも思っています。
〈『人生は価値ある一瞬』〉