親鸞聖人の開かれた浄土真宗のみ教えは「他力」で救われる教えです。
ところが、最近ではこの他力という言葉を聞くと、何か物足りないように感じる方が多いのではないでしょうか。
「自己責任」「自主自立」の時代に合わないのではないかという意見があります。
この世に生まれてから死ぬまで、自分でするべきことは自分でするのが当たり前と考ている人も多いでしょう。
しかし、人生には自分で思い通りにできない問題がたくさんあります。
例えば、生老病死です。生まれること、年をとること、病気になること、この世を去ることは自分で思い通りにできません。
ですから「なぜ、老いるのか」「なぜ、死なねばならないのか」、納得することは易しくありません。人間は縁に触れてどうなるのかわからない危うい生き物です。
そのことをありのままに受け止めて生き抜くのか、もしくは「いつまでも元気で若々しく長い生きしよう」と思い通りにならない現実を取り繕ったり、逃げたり、虚勢を張ったりして生きるのか、大きな違いではないでしょうか。
「他力」、すなわち阿弥陀如来の救いとは「ありのままのあなたを決して見捨てない」といまこの身に至り届く救いです。
他の誰でもなく、いまを生きる私自身の依りどころに関わっています。
私のいのちを根本から支えてくださる存在に出会うときに、思い通りにならない人生を自分の力を尽くして生きることができます。