他力といふは如来の本願力なり

自分にとって何かいいことがあったときに、さまざまな受け取り方があります。

例えば「私が努力したからだ」「運がよかった」という受け取り方があります。自分の力や不思議な力を当てたよりとする考え方です。

他に「おかげさまです」「皆さまのおかげです」という受け取り方もあります。自分の手柄を前面に出すのではなく、他者のはからいに感謝を申し上げる考え方です。これは仏教の教えにも通じ、美しい言葉遣いではないでしょうか。

ただし、良くないことがあったときは、なかなか「おかげさま」と言うことはできません。

では、良くないことが起こったときは、どのように納得するものでしょうか。

「仕事で失敗した」「怪我や病気になった」という場合、責任者は誰かと探してしまったり、運が悪かったしたりするかもしれません。

「自分が悪かった」と反省することもあるでしょうが、かえって落ち込んでしまうでしょう。

将来への教訓として原因や対策を考えることに意味はありますが、それでは本当に心が安らかになることはありません。

人間にとっての本当の救いとは、苦しみを別のものにすり替えて誤魔化したり、取り繕ったり、あるいは諦めるように強いるものではないのです。

ありのままの私を受け容れ、その上でともに悲しみ、ともに歩んでくださる大きな力を支えとすることが本当の救いです。
浄土真宗では、私たちをありのままに包み込む温かい力を「他力」「仏力」「本願力」と申し上げます。

合わせる手の中、響くお念仏の声を通して「あなたはひとりではない」「決して見捨てない」と、いのちの根底から私を支えてくださる仏さまの存在を知らせてくださるはたらきです。

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2022年08月01日