欲に頂きなし

高度情報社会の今日、インターネット上に情報が氾濫し、人間はその情報に踊らされて、右往左往しているように思えます。ある著名な心理学者が、「インターネットの発達によって、地球の反対側の情報でも即座に入ってくるのに、隣に座っている連れ合いのこころは全然わかっていない」という趣旨のことを書いておられました。インターネットによって、距離の壁を越えて、即時に膨大な量の知識を得ることはできても、生身の人間の情報は取れないし、伝わってこないということでしょう。

かつて私たち人間は、なるべく自然や生身の人間と接触し、自分の体と五感を使って、生きるうえで必要な情報を身につけました。人間同士や動植物、森林や大地などとのつながりを通して、物事を一つひとつ感じ取りながら生活をしてきたのですが、今は情報だけが先走っている感じです。

私たちは、インターネットを通じて入ってくる情報をまったくシャットアウトするわけにもいかず、情報源としてある程度受け入れる必要はあります。だからといって、目の前の画面の情報がすべてだと取り違えるのは認識不足です。画面を通じて見ている情報は、発信者のほんの一部分でしかありません。画像が添付されていたとしても、発信者が都合よく切り取ったものであり、あくまですべてではないことを知っておく必要があるでしょう。そうした偏った情報を一〇〇パーセントうのみにしてしまうと、その目先の情報に踊らされて、怒ってみたり、悲しんでみたりと感情的に反応してしまう危険性があります。ネット上でのやりとりが原因で悲劇的な事件が起きるのも、過剰な反応のゆえではないでしょうか。

情報が手軽に手に入るわりに、忙しくてその暇がないのか、現代人はものを考えなくなってきているように思えます。自分の頭で考えた意見よりも、他人の意見の受け売りや、単純に物事を割り切ってしまった意見が蔓延している感じです。いろいろな情報が大量に入ってくれば、本来なら、しっかり考えないと消化できないはずなのに、自分に不都合な情報は切り捨ててしまっているのです。

もっと考えることを大事にしてほしいと思うのですが、情報の一面しか見られないのは、こころが自分の欲望に縛られ、自分に都合のよいことしか受け取らないようにしているからだと思います。仏教は、そういう自分中心のこころを開きなさいというのが基本的な教えです。こころを開くことで、自分とは合わない情報も入ってくるようになり、情報を処理するためには嫌でも考えざるを得なくなります。

まず、「自分は欲望にとらわれている」と自覚することから始めれば、もう少し広くて柔軟な視野で情報を読み取り、自分に不利益なものも理解できるようになるでしょう。

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2022年09月01日