平和は全人類の願いです。ところが世界では紛争がなくなりません。
「人間は物事を合理的に考えることができるから、お互いが理性に従って話し合えば争いを止めることができるはずだ」と考える人がいますが、人間の本質を考えるとただのきれいごとに聞こえます。
人間を含めて生物がいちばん大事に思い、いちばん可愛いのは「自分」です。
こうした自己中心性がないと生命そのものが成り立たないからです。
他人はもとより、家族や友人よりもまず「自分」のことを考えて行動するのが生物としての根本原理です。
ですから自分の利害に関わらないところでは「いのちを大切にしよう」「平和になってほしい」「みなが幸せになってほしい」などと美しい言葉を口にします。
しかし自分の人格や利害を侵されそうになると、きれいごとではすませられなくなるのです。
人間は相手と争ってでも自己を守ろうとします。ですが「自分」をいちばん大事に思っているのは相手も同じです。
お互いが自己を守ろうとして対立しあい、最悪の場合はいのちのやりとりにまでエスカレートしかねません。
こうした人間の本質を考えたとき、残念ながら人間が人間であるかぎり争いはなくならないのでしょう。
では私たち人間は、対立する相手と手をつないで生きていくことは不可能なのでしょうか。
お釈迦さまは、次のような意味の言葉を残されています。
自分よりさらに愛しいものはどこにも存在しない。
同様にほかの人びとも、それぞれ自分が愛しい。
それゆえ自分を愛するものは、他人を害してならない。
自分も相手も自己をいちばん大事に思っています。日常の場でも自己中心的に考え、行動するのが人間に共通する本質である以上、それを非難しても解決しません。
その共通性を受け入れて、相手の立場を尊重する方向へと考えを広げていけばお互いが交流しあえる基盤をつくっていけるはずです。
また、相手の心の中に土足で踏み込んで人格を傷つけるような攻撃は、相手より優越的な立場に立ったつもりであっても、結果として自分の人間性のお粗末さを浮き彫りにします。
それに気づき「恥ずかしいことだ」とわが身を振り返るきっかけになれば、相手を攻撃する自分に少しは歯止めがかかるのではないでしょうか。