いまから13年前に『人は見た目が9割』というタイトルの本が話題になりました。
他人にできるだけ良い印象を持ってもらえるよう、服装に気をつけたり、表情をつくったり……私自身も試してみましたが、しばらくすると疲れてやめてしまいました。
最近では「人の第一印象は3秒で決まる」ということが書かれた本も書店に並んでいます。
「いかに人に好かれるか」「どうすれば相手に認めてもらえるか」。
これらの本に共通しているのは他者からの承認に対する過剰な意識です。
そしてそれは一瞬で決まるといいます。
一瞬で評価される社会。裏を返せば自分自身も周囲からすぐに結果を出すことが求められる社会です。
さまざまな評価の指標のもと、私たちは子どもから大人になるまで延々と成果を求められ続けます。
何ができ、何ができないのか。何をして、何をしてないのか。そしてこの評価は息を引き取ったあとも続きます。「どうのような死に方をしたのか」「何を遺したのか」という指標によって。
そもそも私たちは他者を適切に間違いなく評価することができるのでしょうか。浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が「善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり」と示されたように、真実のものさしを持ち得ないのが私たち人間です。他人の行為やその存在の善し悪し、そして自分のいのちの行く末を判断することも不可能です。
一方で「人から認められたい」という他者の評価を求める気持ちも抑えがたいものです。現代社会において、評価はより良い成果を追い求める際の原動力となり得ます。
しかし他人の評価を過剰に求めることは「自分の思い通りに他人に見てもらいたい」という自己中心的な欲求の表れに他なりません。
お釈迦さまは「すでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか」(『ブッダの真理の言葉 感興のことば』)と説いておられます。
「自分ですら自分の思い通りにできないのに、他人を自分の思い通りにコントロールできるものではない」という厳しい指摘です。
自分と他人に対する過剰な期待や思いに気づかされることで、少しだけ肩の力を抜いた生き方ができるのではないでしょうか。
〈参考『いのちの栞』〉