江戸時代後期から昭和初期に活躍をしていた鳥取県青谷町に住む源左(げんざ)という念仏者の晩年の話です。
懺悔奉仕団体「一燈園」を設立した西田天香さんが鳥取県智頭に講演にきました。
西田さんは「奉仕」「托鉢」「内省」の三本柱を掲げて村作りを初めて成功させた方です。海外でも講演していたといいます。
源左の住む青谷から講演のある智頭までは直線で60kmあります。実際の道程は80~90kmあったかもしれません。
源左は講演に遅刻し、会場に到着したときにはちょうど講演が終了していました。
「せっかく遠路はるばる会場まで来たのに、先生の姿も見ずに帰るのか……」と残念がっていると、親切な人が西田さんの宿泊場所を教えてくれました。
源左は宿に赴き、西田さんに面会し「先生、今日はお疲れになったでしょうから、身体でも揉ませてください」とマッサージを始めます。
「先生、私は講演の時間を間違えてお話を聞くことができませんでした。もしよろしければお話しくださったタイトルだけでも教えていただけないでしょうか」
「今日の話は【ならぬ堪忍するが堪忍】ということを話しましたよ」
西田さんの言葉を聞き、源左はブツブツと何かつぶやきました。
「源左さん、すみません。いま、なんとおっしゃいましたか」
「いや、私は心がけが悪いので……【堪忍しなさい】と言われてもとてもできません。しかし周りの皆さんが堪忍してくださるおかげで、なんとかこうしてやっていくことができています」
西田さんは源左の言葉を聞いて「こんな田舎にも凄いことを言う人がいるものだ。こんな傑物に私の身体を揉ませるわけにはいかない」と驚いたといいます。
人間に一番見えないものは「自分の内面」と「ご恩」です。もし自分の心をすべて曝け出すことになったら、堂々と顔を上げて道を歩くことはできません。
「肉が美味しい」「魚が美味しい」と貪る心は畜生の心です。
周りのご恩がわからない心は地獄の心です。
人の持ち物を羨ましく思う心は餓鬼の心です。
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は『目連所聞経』の「無眼人」「無耳人」を引用しています。これは盲目の人や難聴の人のことではありません。
眼があってもご恩が見えない人、耳があっても自分の内心醜い頃が聞こえない人のことです。