成長するということは、知識を吸収して賢く立派になることだけではありません。もっとも大切なことは他人の苦しみに敏感になるということです。
とある兄弟の話です。中学生の弟は思春期になって髪型を気にするようになりました。
そんな弟がある日、学校の帰りに理髪店に立ち寄って丸坊主にして家に帰ってきたといいます。
「どうした? お前、失恋でもしたのか? もしくは罰ゲームか?」
兄が驚いて弟に尋ねると
「実は病気で長く欠席していた女の子がクラスに帰ってくるんだ。でもその子は薬や治療の副作用で丸坊主にしたみたいで。何もしてあげられないけど、丸坊主が他にもいれば少しは彼女の気も紛れるんじゃないかと思って」
翌日、弟は学校から帰って来ると興奮気味に兄に話しました。
「今朝、学校に行ったら自分だけでなく、優等生も金髪の不良も、男子がみんな丸坊主になっていたんだよ。女子もみんなショートカットにして、ひとりの子は丸坊主にしていて……しかも担任の先生も丸坊主にしてきてさ。クラス中、丸坊主だらけで朝からみんなで大笑いしたよ。病気だった女の子は泣きながらみんなに有り難うと言っていたよ」
話を聞きながら、兄は思わず感動して泣きそうになったといいます。
成長するなかでもっとも大切なことは、他者の痛みや苦しみに敏感になることです。人間ですから限界はあるし、難しいかもしれませんが、自分なりに共感して対応ができるようにめざしたいものですね。
一方で知識はたくさんあっても、人の痛みがわからない人間になってしまうことは恐ろしいことです。
そうならないように仏法の教えに自己を尋ねていきましょう。