いまから1800年前にインドで活躍していた龍樹という僧侶がいます。
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が「七高僧」と仰いだ僧侶の第一祖です。「八宗の祖」ともいわれ、大乗仏教の流れを汲む日本仏教では各宗派が龍樹菩薩を讃えています。
しかし龍樹菩薩の伝記によると、若いときはヤンチャな青年で、悪友たちと悪事にふけっていたようです。
ある事件を契機に「苦しみの原因やわざわいの根源は自分の欲である」と大きな発見をされました。
普段、私たちは自分の苦しみの原因を外にみようとします。
「隣の人が悪いから」
「政治が悪いから」
「教育が悪いから」
夏目漱石の小説『草枕』は「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」との有名な一節があります。
そして「住みにくさが高じると、住み安い所へ引越したくなる」と続き「どこへ越しても住みにくい」と記されています。
引っ越しをしても、また隣で困った人に出会います。決して悪い隣人が追いかけてきたわけではありません。
自分にとって都合がいいか悪いかという欲の物差しを持っている限り、自分にとって都合の悪い人は必ず目の前に現れます。
つまり自分の苦の原因は外にではなく、自分の内なる欲にあるのです。
どんな難病でも原因がわかれば治療も予防もができます。自分の苦しみの原因は自分の欲である仏教は説きます。
ということは「欲」がなくなれば「苦」もなくなります。しかしいざ実行するとなると、非常に困難な道です。自ら欲を断つ仏道を「難行道」といいます。
欲を持ったままでも苦に繋がらない道はないのか……そこで龍樹菩薩は「他力易行」の念仏に辿り着いたのです。
南無阿弥陀仏の念仏を申す身になっても欲はなくなりません。しかし苦しみの連鎖する迷いの世から離れる身となることが「いま」「ここ」で決定します。
「即時に必定に入る」と正定聚の位に就き、迷いに退転しない身となるのです。