人は出会いによって育てられ 別れによって深められる

年齢を重ねていくと、身近な方々の訃報を聞く機会が多くなります。会議で顔を合わせていた方、食事の席で他愛のない冗談を言い合っていた方。
頭ではわかっていても、その方の姿や声を聞くことができないのはとても辛いものです。

遺族のための援助活動をする若林一美さんという方が、子どもを亡くした遺族の方が話された「忘れることは、おもいきり思い出してやることだ」という言葉を著書の中で紹介していました。

大切な人を亡くした悲しさや辛さを忘れることは容易ではありません。いくら時間が経ったとしても、ふとした瞬間にその人がもはやこの世にいないという事実に気づき愕然とします。
しばしばそうした悲嘆から逃れるには「早く忘れることが一番」といわれます。しかし決してそうではないというのです。
実はしっかりとその方の存在を想い続けることによってこそ「常にそばにいる」という実感が得られるのではないか。さまざまな喪失を抱えながら、それでも私たちが生きていくには「忘れる」のではなく、むしろ「想い続けること」が大切であるというのです。

お釈迦さまの言葉を遺した最初期の経典である『スッタニパータ』には、お釈迦さまの死(入滅)を知ったピンギャという仏弟子が「私はお釈迦さまと片時も離れられません」と嘆くシーンが描かれていますが、同時に彼はこうも言っています。
「昼夜を問わず心の中でその姿を礼拝し、思いを馳せることによって、心は固く結ばれています」と。ここには「常に想う」という行為が、別離していった方との新たな形の出遇いを支えるものであったことが、印象的に記されているように思います。

仏教は「想う」という行為をその後も大切に継承していきます。浄土真宗のように「浄土」という仏さまのさとりの世界を重視する仏教の流れのなかでは、仏さまを想う念仏が重要な実践として注目されるとともに、私たちが仏さまから想われる存在であったことが明らかにされていきました。

「どこにも居場所がない」「孤独である」と感じるときこそ、私たちは他者の支えが必要です。
想うこと、想われることのどちらであっても、そこに支えられているという安心を得られる世界があることが、本当の幸せではないでしょうか。

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2024年03月01日