長命寺

昨日から長野県にやって来ています。


長命寺さまの報恩講法要でした。


昨年、お参りした清浄寺さまと同じく親鸞聖人の門弟である二十四輩の第七番である西念房道祐が開基のお寺です。


開基である西念房道祐は、親鸞聖人の7番目の弟子です。俗名は「井上次郎道祐」といい、清和源氏の末裔で、信濃国高井郡を本拠に活躍した井上氏の一族でした。

1207(承元元)年、西念は越後に配流された親鸞聖人と越後国五智国分寺でお会いし得度をします。

その後、1214(建保2)年に聖人に従って関東に下り、井上氏の所領であった武蔵国安立郡野田に一宇を建立。これが長命寺の始まりです。


親鸞聖人がご往生されて後、本願寺第3世の覚如上人は東国を巡回していた折に、西念房と邂逅します。

1288(正応元)年、107歳となっていた西念房は、「こうして聖人の後継者にお目にかかることができたのは、長命に徳である」と語ったところ、覚如上人は大変お喜びになり、「長命寺」の寺号をくださいました。これが長命寺の由来です。

西念は、翌年の1289(正応2)年に108歳でご往生されました。


長命寺3世の西祐のとき、鎌倉幕府が滅亡し、南北朝時代に入ります。

このとき、野田の長命寺は戦乱により破却され、1355(建武2)年に西祐は井上氏を頼って信濃に移り、駒沢(長野市上駒沢)に長命寺を建立しました。

その後、室町時代になって、戦乱で行方不明だった寺宝「西念房木像」がようやく長命寺に戻ってきます。

駒沢の長命寺は後の1519(永正16)年に布野(長野市柳原)に移り、さらに江戸時代の中期になって現在の南堀に移転。1700(元禄13)年のことです。

 


南堀の長命寺の本堂は、1847(弘化4)年に善光寺地震で倒壊しました。

現在の本堂は1853(嘉永6)年に再建されたものです。

また、1885(明治18)年には、同じく経堂が再建されています。


なお、現本堂は宗祖親鸞聖人750回大遠忌に向けて、平成18-19年に屋根葺替などの改修を行い、今日に至っています。


こちらのお寺の縁起が綴られた貴重な本をいただきました。勉強させていただきます。

合掌

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2019年11月17日