宗教儀礼の話の続きです。
私が友人とクラブに出演していた時に、よく一緒になっていたダンサーがいました。
家が近かったので、個人的に仲が良かったです。とにかく真面目で練習熱心な人でした。
みんなでラーメンを食べに行こうとすると「太ったり、肌が荒れたりしたら困るから私は食べない」というストイックな人です。
ダンスの練習だけでなく、ジムにも通って体型維持に余念がありませんでした。
さらに、髪型や衣装にも凄くこだわっていて、私が部屋着のままボサボサの髪で楽屋に現れた時には「舐めてるのか?」と物凄い剣幕で怒られたことをよく覚えています。
どうしてそこまで頑張るのか聞いてみると、「ダンスが好きなのはもちろんだけど」と前置きをしてから、
「神は細部に宿ると言われるように、小さなこだわりの積み重ねが素晴らしいステージングを生む。そこからお客さんとのグルーヴ(臨場感)や大きく心を揺り動かす感動が生まれる」
という旨の答えが返ってきました。
当時は「はぁ、そうですか」と聞いていましたが、自分自身が儀礼の中心に身を置くようになると、凄く耳が痛いです。
仏さまにお供えするおつとめや雅楽、荘厳や衣体のバランス、細かい作法や姿勢、お焼香やお線香の焚き方など、ひとつひとつをこだわり抜いた先にこそ儀礼による宗教的な感動が生まれるのかもしれません。
教義と儀礼は浄土真宗の教法を護持し、伝道し、信者の社会責任を明確にしていくことを使命としている教団を支える両輪であるといえましょう。(梯實圓和上)
合掌