M-1

儀礼の観点から考えると、細かな荘厳や何気ない作法のひとつひとつが伝道布教に与える影響は大きいように思います。


日本一の漫才師を決める「M-1グランプリ」がテレビで放映されていました。


内容は漫才番組なのですが、とにかく音楽やセットなどの演出が凝っていて、出てくる漫才師がかっこよく見えます。


例えば「夏の甲子園」のように高校球児たちが全力で野球に青春をかける姿は、普通の野球の試合を観るより何倍もドラマチックです。


テレビの話に戻すと、私が好きな「人志松本のすべらない話」という番組も、「芸人が面白い話をする」というシンプルな内容です。


面白いのはもちろんですが、それでけではなく、豪華なセットの中で、出演者がカッチリとした衣装に身を包み、落ち着いたBGMで、サイコロを振って話す人を決める……という演出によって、人気番組に成長したのではないでしょうか。


僧侶の法話や読経も、衣体や作法、演出(?)に工夫を加えるだけで、ガラッと雰囲気が変わり、ご法義の伝わり方に変化が生まれる──かもしれません。


一例を挙げると、演台で立って法話をするよりは、高座で法話をする方が個人的にはかっこいいと感じます。

ただ、高座は動けないため、ホワイトボードが使えません。

その結果、布教使の話術や表現力といった実力が露呈します。難易度はかなり高いでしょう。

合掌

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2019年12月22日