歌舞伎座で「十二月大歌舞伎」『本朝白雪姫譚話』を鑑賞しました。
グリム童話「白雪姫」の世界を、日本を舞台に描き出す新作歌舞伎です。
原作では白雪姫の継母である王妃が、魔法の鏡に対して「世界で一番美しいのは誰か」と聞くと、「それは白雪姫です」と答える有名なシーンを発端にストーリーが動き出します。
魔法の鏡は普段であれば「王妃です」と答えていたのですが、白雪姫が成長し、王妃は美しさNo.1の座が明け渡す結果となりました。
白雪姫と王子様の困難を乗り越えてゆくラブストーリーが中心となる物語ですが、私は王妃に注目しています。
美貌に執着するが故に身を滅ぼしてゆく……浄土真宗的に考えると、王妃は私たち凡夫の象徴のような存在です。
もしかしたら、王妃は生まれ育った家庭が複雑だったのかもしれません。
王族に嫁ぐくらいなので、裕福な家庭の出身であったことでしょう。
一方で「自分の娘を王族に嫁がせたい」という親の大きな期待を背負って、幼少期から厳しい教育を受けてきたとも考えられます。
本来であれば両親から無条件に承認されたい……しかし、そんな気持ちを抑えながら「もっと優秀に」「もっと美しく」と耐え抜いた結果、見事に王妃となることができました。
ところが、「美しさ」だけを自分の居場所としてきた王妃は、日に日に年老いていく自分の居場所が失われるように感じてきたのです。
「美しくなければ私は認められない」「美しくなくなったら見捨てられてしまう」といった不安を少しでも拭おうと、手に入れたのが魔法の鏡でした。
「世界で一番美しいのは誰か」「王妃です」
このやり取りだけが、不安だらけの王妃の人生において一抹の安心を得る瞬間となったのでしょう。
しかし、無情にもその安心が奪われる日がやってきました。白雪姫の方が美しくなってしまったのです。
「美しいと言われない自分に価値はない」と絶望する王妃は、白雪姫の殺害を決意した……という『白雪姫』の前日譚を勝手に妄想しています。
「人より優れてなければ自分を保てない」という比較や、「これを失ったら自分が不幸になる」といった執着によって身を滅ぼす姿は、煩悩具足と示される私の姿そのものではないでしょうか。
もしも王妃が魔法の鏡ではなくて、比較を超えた阿弥陀如来をお仏壇にお迎えして置いておけてば、『白雪姫』のような悲劇は起こらなかったかもしれません。
そんなことを延々と考えていて、歌舞伎の内容は全く入ってきませんでした。
合掌