地獄先生24

築地本願寺が発行する寺報である『築地本願寺新報』の7・8月号の特集記事を執筆するため、題材を探していました。


昨年、書く予定でデータが消えてしまった「地獄」に再挑戦するべく、いろいろと書き綴っています。

正直、後半から飽きてしまって阿鼻地獄の小地獄の話や、地獄絵図の話などは省略しました。せっかく調べたのでもったいないですが、これで一区切りとします。


ここから『築地本願寺新報』には掲載できなかったエピソードや聖教の御文などを紹介します。


仏教では私たちのいのちを「生まれて死んでそれ終わり」とは考えません。
生まれ変わり、死に代わり、生まれ変わり、死に代わり……と輪廻を繰り返してきたといいます。


具体的には、中国の道綽(どうしゃく)禅師の『安楽集(あんらくしゅう)』「輪廻無窮(りんねむぐう)」に次のようにあります。

あるいは色界(しきかい)に死して阿鼻地獄に生ず。阿鼻地獄のなかに死して余の軽繋(きょうけ)地獄に生ず。軽繋地獄のなかに死して畜生のなかに生ず。畜生のなかに死して餓鬼道のなかに生ず。餓鬼道のなかに死してあるいは人天のなかに生ず。かくのごとく六道に輪廻して苦楽の二報を受け、生死窮まりなし。胎生すでにしかなり。余の三生もまたかくのごとし

私たちは地獄・畜生・餓鬼・人・天の五つの世界(修羅を加えると六道)を巡ってきたのです。


その後、禅師は「じゃあ具体的に私たちはどこにいたのか」と問いを立て、次のように答えます。

流転(るてん)すといふといへども、しかも三悪道(さんまくどう)のなかにおいて身を受くることひとへに多し。

ほとんどの人が地獄・餓鬼・畜生の三悪道にいたそうです。


そのため、「悪道の身多し」「悪法は起こしやすく、善心は生じがたきがゆゑなり」と続きます。
簡単に言えば、「前世が三悪道にいたから、現世で悪いことをする奴ばっかりである」ということでしょう。


具体的な行動として、「もし富貴(ふき)を得れば、ただ放逸(ほういつ)・破戒を事とす」と禅師は挙げています。
人間は財産や高い地位を得ても、ろくなことをしません。前世が三悪道だったから当然でしょう。


以上のように、人間の今のすがたを前世のありさまからうかがっています。仏教徒には面白い記述です。

ちなみに、この続きから有名な「聖浄二門(しょうじょうにもん)」が始まります。

合掌

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2019年06月25日