築地本願寺が発行する寺報である『築地本願寺新報』の7・8月号の特集記事を執筆するため、題材を探していました。
昨年、書く予定でデータが消えてしまった「地獄」に再挑戦するべく、いろいろと書き綴っています。
正直、後半から飽きてしまって阿鼻地獄の小地獄の話や、地獄絵図の話などは省略しました。せっかく調べたのでもったいないですが、これで一区切りとします。
ここから『築地本願寺新報』には掲載できなかったエピソードや聖教の御文などを紹介します。
仏教では私たちのいのちを「生まれて死んでそれ終わり」とは考えません。
生まれ変わり、死に代わり、生まれ変わり、死に代わり……と輪廻を繰り返してきたといいます。
具体的には、中国の道綽(どうしゃく)禅師の『安楽集(あんらくしゅう)』「輪廻無窮(りんねむぐう)」に次のようにあります。
あるいは色界(しきかい)に死して阿鼻地獄に生ず。阿鼻地獄のなかに死して余の軽繋(きょうけ)地獄に生ず。軽繋地獄のなかに死して畜生のなかに生ず。畜生のなかに死して餓鬼道のなかに生ず。餓鬼道のなかに死してあるいは人天のなかに生ず。かくのごとく六道に輪廻して苦楽の二報を受け、生死窮まりなし。胎生すでにしかなり。余の三生もまたかくのごとし
私たちは地獄・畜生・餓鬼・人・天の五つの世界(修羅を加えると六道)を巡ってきたのです。
その後、禅師は「じゃあ具体的に私たちはどこにいたのか」と問いを立て、次のように答えます。
流転(るてん)すといふといへども、しかも三悪道(さんまくどう)のなかにおいて身を受くることひとへに多し。
ほとんどの人が地獄・餓鬼・畜生の三悪道にいたそうです。
そのため、「悪道の身多し」「悪法は起こしやすく、善心は生じがたきがゆゑなり」と続きます。
簡単に言えば、「前世が三悪道にいたから、現世で悪いことをする奴ばっかりである」ということでしょう。
具体的な行動として、「もし富貴(ふき)を得れば、ただ放逸(ほういつ)・破戒を事とす」と禅師は挙げています。
人間は財産や高い地位を得ても、ろくなことをしません。前世が三悪道だったから当然でしょう。
以上のように、人間の今のすがたを前世のありさまからうかがっています。仏教徒には面白い記述です。
ちなみに、この続きから有名な「聖浄二門(しょうじょうにもん)」が始まります。
合掌