お釈迦さま当時の食事の話を布施、肉食、殺生、菜食と紹介しました。
「死」の他に、「罪」を問題とするのが宗教です。
昨日、聞いていた法話の続きに出てきたお話を紹介します。
保育園の先生が次のようにおっしゃっていました。
「私の勤める保育園では、必ず手を合わせて
いただきます
と言ってから食事を始めることを徹底的に子どもたちに教えています。
なぜなら、世の中に食べ物は存在しないからです。
食卓に並んでいるのは食べ物ではなく生き物です。
『あなたのいのちを奪わなければ、私は生きていくことができません。
だから、あなたのいのちを頂戴いたします』
という意味で、手を合わせていただきますをするようにと園児たちに教えています」
そのことを聞いてこんな疑問は出てきませんか。
「では、手を合わせて『いただきます』と言えば、生き物を殺してもいいのか?」
仏教は、「生き物を殺すものは地獄に堕ちる」と教えます。
すると動植物をはじめとした生き物を殺してしか生きることのできない私たちは、どうやっても地獄に堕ちるしかありません。
しかし、その私の有り様を哀れんでくださった阿弥陀如来という仏さまは、
「あなたを地獄に堕とすことはしません。私があなたを救うことのできる仏となったよ」
と、南無阿弥陀仏のお念仏のはたらきになって届いてくださいます。
このことをお聞かせにあずかるものは、深い罪を抱えたままに浄土へと参らせていただきます。
ここまで話すと、さらに疑問が出てきます。
「では、『なんまんだぶ』と称(とな)えれば、生き物を殺してもいいのか?」
実はこの疑問、何も知らない最初の疑問とは前提が違います。
「生き物を殺すものは地獄に堕ちる」と聞き受けた上での疑問は、その時点で視点が大きく変わっているのです。
「お経の話は聞いてもよく分からない」という人がいます。
しかし、「よく分からない」お経の話を聞いていく内に、今までとは少し違う視点が生まれてくるのではないでしょうか。
合掌