宗教儀礼2

前回に引き続き、『聲明集解説』の序文(梯實圓和上)をご紹介します。

浄土教の宗教儀礼を体系的に明らかにされた方は、唐代の初めに出現して、中国浄土教を大成された善導大師(613-681)でした。
その『往生礼讃』『法事讃』『般舟讃』などは、仏徳讃嘆を中心にして自行化他する浄土教儀礼を具体的に示した聖典でした。
なかでも『往生礼讃』の前序(序説)には、安心と起行と作業という三つの枠組みをもって、浄土教における儀礼の位置づけと、その意義と、実習にあたっての心構えが明確に示されていました。
この善導大師に遅れること約100年、後善導(善導の再誕)と讃えられる法照禅師(822頃寂)が出現します。
禅師は唐の永泰年中(765、6年頃)南岳衡山での修行中に感得した浄土の音曲を写したという「五会念仏」と称する仏教音楽を中心とした行法を確立されました。
禅師は後に五台山に竹林寺を建てて五会念仏の行法を伝えますが、五会念仏の由来や、その儀礼のなかで用いる仏徳讃嘆の詩文を収録した『浄土五会念仏略法事儀讃』等を著します。
法照禅師が亡くなって約18年後(840)に竹林寺を訪れた日本の慈覚大師円仁(794-864)は、そこで五会念仏の法を伝授され帰朝し、比叡山延暦寺に伝え、常行三昧堂の行法とされたのでした。
こうして浄土願生の儀礼であり、高度な仏教音楽(声明)でもあった五会念仏作法が比叡山に移植されることになったのです。

合掌

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2019年11月03日