芸人の千原ジュニアさんが、「名言」について次のように語っていました。
名言が生まれるためには、言葉を発した人だけでなく、その言葉を「名言である」と受け取る人も必要である
千原ジュニア:この世には、本当に名言が溢れています。
ゲスト:はい。
千原ジュニア:名言というのは、発した人の言葉ではございません。受け取った人の言葉です。
ゲスト:だから、誰のどんな言葉でも、受け取る人によっては、それが名言になり得るということですよね。
千原ジュニア:そうです。その言葉を発した人をフィーチャーしがちですけど、違うんです。それを聞き取れた方が、本当の名言を作った人なんです。
ゲスト:なるほど。
千原ジュニア:名言というのは、言った人ではなく、それをそう捉えた人が作るのではないかと。
さすが芸人さんは、面白い視点をお持ちです。
お釈迦さまの説法がお経として残るためには、常随昵近(じょうずいじっきん)の弟子である阿難尊者の「私はこのようにお釈迦さまの説法を聞き受けました」という姿勢が大切にされています。(聞成就)
万が一、お釈迦さまの説法を「ふーん」と阿難尊者が聞き流していたら、その説法はお経としては残っていなかったことでしょう。
「今のお釈迦さまの話は凄い! これは後世に残さなければいけない!」と阿難尊者のアンテナに引っかかっていたからこそ、お釈迦さまの説法がお経となって現代の私たちのところにまで届けられていると考えると、お釈迦さまと同じくらいに阿難尊者が尊く感じられます。
合掌