「迷惑をかけるな」と教えるのは道徳 「迷惑をかけてる」と教わるのが宗教

宗教と道徳の違いをご存知でしょうか。仏教思想家・ひろさちや氏は「道徳とは強者が弱者を痛めつける時に利用する道具」と話します。

たとえば道徳では「噓はダメ」「遅刻はダメ」と教えます。しかし実際に噓をついて罰せられるのは弱者である民衆だけです。権力者は噓をついても罰せられません。会社において遅刻して叱られるのは社員で、社長や重役はお咎めなしです。

どのような社会も権力者の都合のいいように現在の体制を護持することを命題としています。その体制を維持するために使われるのが道徳です。つまり道徳を必要とするのはその社会にあって甘い汁を吸っている人たちなのです。

では真実の宗教とはなんでしょうか。宗教の定義は多種多様で「宗教学者の数だけ宗教の定義がある」といわれます。
宗教とは「人間は不完全だと教えるものだ」という言葉があります。キリスト教であれば「神」、仏教であれば「仏」は、それぞれの宗教の目的意識の上において完全なる存在です。言い換えれば人間は「不完全なる存在」であり、「間違いを重ねる存在」なのです。

一方で神道のカミは完全の存在ではありません。日本のカミはよく間違えます。ただ「カミですら間違うのであるから、人間がまちがいをするのは当たり前」ということになります。したがって日本の神道も「人間は不完全な存在だ」と教えています。

つまりすべての宗教は「人間は不完全で間違いばかりする」と教えるのです。世の中は不完全な存在であるお互いが許し合って、助け合って生きていかなければいけません。
自分が間違うのであるから、相手も間違って当然です。他人を執拗に責めず、少しぐらいの迷惑はお互いに耐え忍んで生きるのがこの世の理想的な生き方です。そのことを教えるのが宗教の第一歩といえます。

無宗教の現代社会で困ることは、このような「自分が不完全」という意識がないことです。誰もが「自分は賢く、立派で、完全である」と思い込んでいるから、世の中がギスギスしています。「私が正しい」という意識はいつでも争いのタネとなるのです。

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2025年07月01日