人間には科学的な合理主義や客観的な論理では解決しない重い課題があります。たとえば「世の中が思うようにならないこと」「明日のいのちが不確かなこと」「過ぎ去ったことは取り返すことはできないということ」などです。
このような課題に直面した時に「それをどう受け止めていくか」「どう乗り越えていくか」というところにはたらくのが「宗教」あるいは宗教的な事柄です。これらは私たち人間にとっての根源的な課題であり、何かで置き換えたり、簡単に解決したりはできません。
つまり宗教は、優れた先人が自らの苦悩の中から発見された道であり、人間が悩みを解決するために発明した道具ではありません。「先人が眼には見えないけれどそこにあった道を見つけ出して、私たちに教えてくださったのだ」と受け取っています。
私たちは限りあるいのちを生きているのですから、ただうれしい、悲しい、つらい、おもしろいだけで終わってしまっては、むなしい人生になるのではないでしょうか。
もう一歩深めて、こころ豊かに、めぐまれたいのちの喜びを味わうことができるかどうか、その手がかりとして仏教の教えを聞いていただきたいです。