伝道布教1


「18品の朝ごはん」の説明カードのサンプルを作っていると、築地本願寺の若い職員に、

「『仏さまはあなたを見捨てない』って書いても、誰にも伝わらないですよ」

と言われました。

「言いたいことは分かるんだけど、伝わるかどうかはこちらが決めること?」

と返すべきか悩みましたが、それを言って相手が変わるわけではありませんし、そもそも自分も過去に同じような考え方を持っていましたし、昔の自分を見ているのだと受け止めることにしました。


僧侶に限らず、「こうすれば伝わる」「これでは伝わらない」と、聞き手の受け止め方をこちらから決めてしまう人をよく見ます。
もちろんある程度のテクニックはありますし、心理的なアプローチの効果は科学的にも実証されています。

しかし、世間の話ならばいざ知らず、人生の根幹となるような宗教の話をこちらの勝手な忖度で「伝わる」「伝わらない」と判断してしまうことの軽率さはいかがなものでしょうか。


以前、後輩が「ナンパ必勝法」のような書籍に書かれていた「女性の落とし方テクニック」について熱弁していた時に、同席していた女性に

「そもそも『こうすれば女性を落とせる』という考え方が、女性である私たちを下に見ている。相手を小馬鹿にするような態度は必ず相手にバレるよ」

と冷ややかな視線を浴びせられていました


これは仏教の伝道布教についても同じことが言えます。

「こうすれば相手に仏教は伝わる」「これをしたら伝わらない」と簡単に考えてしまうことは、相手を下に見るだけでなく、仏教そのものを軽んじる態度といえるでしょう。

だからといって、何も考えずにガムシャラにやればいいかというとそうではないのですが、人に何かを伝えること──ましてや、ご法義を伝えることの難しさはしっかりと自覚しなければいけません。

合掌

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2018年06月23日