盆灯籠

そろそろ東京はお盆に入ります。


この季節になると、稱名寺の本堂に盆灯籠を飾ります。


西本願寺や築地本願寺でも飾ります。浄土真宗の夏の風物詩といっていいでしょう。


しかし、浄土真宗では先祖を「灯りを用意しないとこの世界に戻ってこられない存在」とは考えないため、盆提灯や迎え火は特に用意する必要はありません(参考)。


では、どういった由来があるのか……ちょうど書いてある冊子があったため引用します。

亀甲灯籠(盆灯籠)は、毎年8月14日・15日の盂蘭盆会の期間、本願寺と大谷本廟に吊されます。
江戸時代の学僧・玄智の『考信録(こうしんろく)』によれば、お盆の灯籠は中国に起源があり、それが日本に伝わってお盆の風習として定着しました。
そして本願寺でも、世の中の風習にならいつつ、その意味するところを仏さまへのお供え(讃嘆供養|さんだんくよう)へと転換して、お盆の灯籠を用いるようになったということです。
追善供養や「霊」をお迎えするといった意味ではないというところがポイントです。

本願寺の灯籠は京都のお盆の風物詩となり、灯が点(とも)された灯籠を見物するたくさんの人で境内は賑わっていました。現在の本願寺の盂蘭盆会でも、亀甲灯籠が独特の雰囲気を漂わせながら、皆様のお参りをお待ちしています。

余談ですが、『考信録』では、京都でのお盆の灯籠について、「疑うべし」としつつも、こんな俗説を紹介しています──明智光秀が京都の政務にあたった際、税の減免措置を行った。それに感謝して京都の人々は亡き光秀のために灯籠を点すのだそうな──。
敗者への眼差しとか、都人(みやこびと)のたくましさとか、色々なことを考えさせられるお話ではあります。〈『季刊せいてん no.123』より〉


個人的には蝋燭と同じように「仏さまの光明」と味わうか、先立った方々が私たちの人生を照らす灯火(ともしび)となると味わうのがいいように思います。

合掌

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2018年07月11日