先日のブログで紹介した千葉県柏市の西方寺の西原先生の法話をお聴聞しました。
十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる
いまご讃題にあげたお言葉は、親鸞聖人の『浄土和讃』「阿弥陀経和讃」の1首です。
日本語というのは非常に面白いです。
例えば「まこと」という言葉があります。
「ま」は目のことをいいます。「まなざし」「まゆげ」「まつげ」「まぶしい」など。
また、「ま」は形でいうと「丸いもの」も表わします。「まるい」「まと」「まわる」「まめ」「まり」など。
さらに、「ま」は性質からいうと「ウソのない」「偽りのない」をさします。
つまり、「まこと」とは「まのこと」です。「ウソのないこと」という意味です。
このように日本語には言葉そのものに意味があります。名前も同じです。
以前、図書館で「名前のなぞなぞ」という本を借りて読みました。
例えば、「とんぼ」。羽が透き通っていて棒が飛んでいるように見えます。ですから、「飛ぶ棒」から「とんぼ」の名がつきました。
「ねずみ」であれば、「根に住む」。「うさぎ」であれば、「薄毛」。「くま」であれば、「穴の隈に住む」ことから「隈」→「くま」となります。
すべてではありませんが、名前にはそれぞれ意味があります。
摂取してすてざれば阿弥陀となづけたてまつる
阿弥陀という名前の意味・由来を親鸞聖人はお示しくださいました。
すべてのいのちを抱き取って止まない法のはたらきを阿弥陀といいます。
合掌