布教法

宗教の価値観は、世間の価値観とは一線を画すものでなければいけません。釈徹宗先生の文章を引用します。

ここには一般的な社会通念とは異なる価値観が提示されているのです。
そして、そこにこそ宗教の本領があると思います。
社会とは別の物差しがあるからこそ、人は救われるのです。
社会通念と同じ価値体系しかもたないのであれば、宗教の存在意義はほとんどなくなってしまうのではないでしょうか。
たとえば、イエスが「貧しい者、飢えている者、泣いている者、あなたこそが幸せだ。なぜなら神の国はあなたたちのものなのだから」というのも、まさに宗教的逆説性であると言えるでしょう。
すでに述べたように、宗教という領域は社会とは異なる価値体系をもっています。
だから、ときには反社会的行動にもつながります。
しかし、安易にそこへと行ってしまわないようリミッターが設定されているのです。
それが教義や教学であったり、先人の導きであったり、伝統や伝統様式であったりするのですが。

『歎異抄』は、親鸞の思想体系を呼応する形で成立したリミッターだったのではないでしょうか。
「無義こそ義である」と説き、教義・教学にとらわれない態度を語っています。
それと同時に、連綿と続く浄土仏教の鍛錬された体系を基盤としています。
このあたりを見逃さないようにしなければなりません。
実際に伝統宗教の体系は、実によくできているのです。〈釈徹宗『100分de名著 歎異抄』〉

世間を生きながら、世間を超えた価値観を語るところに宗教者の役割があるのでしょう。


人と同じことを思い
人と違うことを考えよ

という言葉をコピーライティングついて書かれた本で見つけました。

宗教者もまた、誰もが感じる苦悩や孤独を人と同じように受け止めながら、その世界を超える教えに生きることが必要でしょう。

合掌

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2018年10月09日