築地本願寺の若い職員さんから
「どうやったら仏教の教えやお念仏を喜べるようになりますか?」
と質問を受けました。
「信心に階段はない」と深川倫雄和上がおっしゃるように、「これをしたら喜べる」「こうなったらありがたいと思える」というプロセスが提示することはできません。
私の場合は京都で学んでいたときに、お念仏を大切になさっている先輩の後ろ姿に育てられるご縁を恵まれました。
しかし、日々の業務に追われている職員さんはなかなかそうした出遇いがないようです。
「とりあえず法座や勉強会に参加する習慣をつけてみてはどうでしょうか?」
なんとなく返答はしたものの、義務感で参加しても意味がないことは自分がもっとも分かっています。
そこで、いつもお世話になっている先生に相談してみました。
「私はどんな風に答えたらよかったんでしょうか?」
「その質問には答えなくていい」
「どうしてですか」
「仏法は人生に何か真剣な課題がないと聞けるようにはならないものだ。
その彼はきっと『自分は僧侶だから仏教を喜ばなければいけない』『お念仏を喜んだらもっと仕事が上手くいくのに』といった意識でそんな質問をしたんじゃないだろうか。
仏法は『たら』『れば』の世界にはない。『今』『ここ』『私』にしか響きません。
仕事や法務といった何かの役に立てようと聞くことも間違いである」
とても自分からは言えませんが、バシッと指摘する先生の言葉に驚くと同時に感銘も受けました。
合掌